井上成美の遺言(海軍兵学校第37期編〈下〉)

  目次
イントロダクション
第三十七期編〈下〉
 レイテに死せず
 カバルアン丘
 ラバウル精神
 ズンゲン守備隊
 ラバウル海軍航空隊
 六然の人・小澤治三郎
 スイス和平工作
 終戦
 自殺未遂
 口頭での戦闘
 小澤と草鹿
 草莽の臣・草鹿任一
あとがき
参考文献
著者プロフィール

 日本ではレイテ沖海戦は話題になります。しかし、その後に行われたレイテ島での戦いは、なぜ話題にならないのでしょうか。
 海軍のフェイク戦果に乗せられた南方総軍は、マニラ決戦を主張する山下さんにレイテ決戦を強要します。
 この戦闘に駆り出された第一師団、作倉歩兵第五七連隊の八尋中隊(第三大隊第一〇中隊)第一小隊第三分隊長として参戦した神子清氏の著『われレイテに死せず』の裏表紙にはこうあります。「投入兵力八万五千名戦死者数八万一千名」
 ガダルカナルでの投入兵力は三万一千名。撤退できたのは約一万名、戦死者が二万強、うち餓死・病死が一万五千名といわれています。戦死者数も戦死者率もはるかにレイテの方がひどい数字を残しているのです。

海軍兵学校第37期編〈下〉

 大本営発表による台湾沖航空戦での戦果は、轟撃沈 航空母艦一〇隻、戦艦二隻、巡洋艦三隻、駆逐艦一隻であった。
 陸軍は、ルソン島での決戦方針であったが、軍令部の敵情判断を信じた参謀本部は情勢有利とみて、昭和十九年十月十八日、にわかに決戦地を変更し、山下兵団から中核兵力を引き抜いてレイテ島に増派させることを決定した。
 山下(奉文、陸十八期)は、台湾航空戦の実情を鹿児島県鹿屋の海軍航空基地に派遣、調査させた情報参謀堀栄三(陸四六期、海兵六一期に相当)の「海軍戦果は信用できない。いかに多く考えても撃沈した米艦艇は二、三隻を出ません。それも空母かどうか不明です」という報告を真実と判断して、作戦方針変更に反対したが、上部の南方総軍司令部は聞き入れなかった。
 なぜ聞き入れなかったのであろうか。
 堀が山下の第一四方面軍司令部に報告に現れたとき、方面軍では祝賀の準備をしていた。そこへ「大戦果なんて大間違いだ」という者が現れたのだから、結婚式が葬式になったようなものである。
 このとき方面軍には作戦準備を指導するため、大本営から朝枝繁晴(陸四五期、マレー作戦時に山下二五軍の参謀)が出張してきていた。この役は、ジツは一期上の瀬島龍三(陸四四期)のはずであった。瀬島が体調不良のため、対ソ作戦計画を練るべき立場であった朝枝に回ってきたのだ。
 堀は、山下への報告と同じものを大本営に打電している。その電報を握りつぶしたのが、大本営に残った瀬島であった。

井上成美の遺言(海軍兵学校第37期編〈下〉)


井上成美の遺言(海軍兵学校第37期編〈中2〉)

  目次
イントロダクション
第三十七期編〈中2〉
 レイテの前のあれこれ
 レイテ前夜
 栗田艦隊出撃
 反転、再反転
 ハルゼーの釣り上げ
 西村艦隊の突入
 突然の会敵
 オトリ作戦のみの成功
 謎の反転
 総括
あとがき
参考文献

  イントロダクション
・・・開戦時、真珠湾攻撃の成功を知った日本国民は、小躍りして喜びました。しかし、この時、世界で一番喜んだのはイギリスの首相チャーチルでした。チャーチルはルーズベルトにアメリカの参戦を懇願していたんです。 日本国内にも暗然とした人々はいました。米内(光政、二九期)邸に集まった、米内内閣時の外相有田八郎さんや書記官長だった石渡荘太郎さんらです。しかし、この時、世界で一番激怒したのは、ナチスを率いるヒトラーでした。ヒトラーはなんとしても参戦したいルーズベルトの画策には乗らず、アメリカ艦船にだけは攻撃を加えなかったのです。「なんということをしてくれたのか!」 これがこの時のヒトラーの本音だと思います。

豊田からすれば、南雲長官は惨敗しながら帰還を許され、これからの連合艦隊司令長官は前線に出なくていい。というのですから、ありがたい参謀長(草鹿任一の従弟、草鹿龍之介)に映ったのではないかと考えるんです。
ただし、草鹿さんの考えでは、重要な場面では必要な幕僚を帯同して司令長官が前線に出動するはずでした。ボクは、レイテには豊田が「大和」に乗って突っ込むべきであったろうと考えていました。

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井上成美の遺言(海軍兵学校第37期編〈中〉)

  目次
イントロダクション
海軍兵学校第三十七期編〈中〉
 バタビヤ上陸
 ジャワ攻略
 今村軍政(前)
 サンゴ海海戦
 今村軍政(後)
 ガダルカナル撤退
 命令一下、出で発つは
 消耗戦から籠城戦へ
 海軍乙事件
 マリアナ海戦
あとがき
 状況判断
 統帥乱れて
参考文献


・・・山下将軍(陸一八期)は猛将などと言われます。二二六事件を起こした青年将校に対して同情的な態度をとったため、中途半端に干された形になっていましたが、いざ開戦となり最重要地区と判断されたマレー作戦の司令官におされたほどの人です。マレーの進撃、シンガポールの早期降伏は山下将軍の力量に大きくうながされたものと思います。・・・山下将軍といえば「イエスかノーか!」ですね。

日本側は全軍の即時武装解除を要求していた。パーシバルは内容を一読し、しばらくしてこう言う。
「シンガポール市中は混乱している。非戦闘員もいるので一〇〇〇名の武装兵を残置することにしてもらいたい」
「日本軍が進駐して治安を維持するから心配はいらない」
「英軍はシンガポールの事情をよく知っているので一〇〇〇名の武装兵を保持したい」
「日本軍がやるので安心されるがよい」
「市内では略奪が起こる。非戦闘員もいることだから・・・」
いつまでもウダウダと続けるパーシバルですが、山下からしたら話がつかなければ攻撃は続行せざるを得ず、さらなる犠牲者を出したくないのだ。山下は作戦課長の池谷に確認する。
「夜襲する時刻は?」
「二〇時の予定です」
パーシバル「夜襲は困る」
山下「いったい英軍は降伏するつもりかどうか?」
 間をおいてパーシバル。
「停戦することにしたい」
ここで山下が杉田に向かって放った言葉がこれである。
「夜襲の時刻が迫っているから、英軍に降伏するのかどうか『イエス』か『ノー』かで返事してもらえ」
パーシバル「イエス。一〇〇〇名の武装を認めてもらいたい」
「それはよろしい」
 山下はあっさり答えたという。
 西洋人であるパーシバルは、自分の意見を述べ、細部まで相互に諒解したうえで降伏文書にサインしたい。日本人である山下は、まず降伏の諾否を決定し、細部の事務手続きなどは後回しでいい。死力を尽くして戦った相手が白旗をあげたのだ、わるいようには決してしない。このような感性は西洋人には通用しないのであろうが、とにかく、杉田の言うように、「現地の報道陣が大げさに山下の威容を報道し、戦勝に酔った点があった」のであろう。

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井上成美の遺言(海軍兵学校第37期編〈上〉)

  目次
イントロダクション
第三十七期編〈上〉
 過ちを改むるに憚ること勿れ
 少尉任官
 陸軍歩兵中隊
 それぞれの萌芽
 満州事変
 『いさお』
 南寧作戦
 第一航空艦隊
 コタバル上陸作戦
 マレー半島上陸
 マレー沖海戦
 敵のおもわく
 島田戦車隊登場
 島田戦車隊さらに突進
 ジョホールバルへ
あとがき
参考文献

 イントロダクション
ボクが井上さんの同期である草鹿任一さんを知ったのは、生出寿さんの本からです。
生出さんは海軍兵学校七四期(以後(七四期)と記す)で、当時兵学校校長であった井上さんの教え子になります。
草鹿さんは井上さんの前の校長で、生出さんは草鹿さんがラバウルに出てからの入校生徒です。草鹿さんは井上さんとは対極的な人、といった登場の仕方で、井上さんが四角四面なら草鹿さんはざっくばらんというか、ボクの印象としては軍人としては砕けすぎた人、かな。といったものでした。・・・草鹿さんが校長に決まったとき、同期からはこう言われたそうです。
「草鹿は兵学校に行儀見習いに行くそうな」
ところが草鹿さんの伝記なんかを読んでみると、もう、ただただすばらしい、唸るほどの方です。経歴を追ってみても教官や、教育機関での勤務が多い。
戦後、井上さんが歴代の大将に等級をつけて批判していたことに、
「井上は、よくない」
 と言った。とありましたが、草鹿さんの人物を知ると、この言葉の重みがずいぶん違ってきます。

・・・そもそも陸軍はドイツに学び、海軍はイギリスに学んでいます。このあたりにも大きな違いがありそうですが、・・・どこの国でも陸軍と海軍は仲が悪かったそうですが、日本の場合は人種が違うような感がある。
・・・小沢さんの葬儀には陸軍の将星が多く参列されたそうです。この一事をもってしても、この人は立派な人だな。そんな思いがボクにはありました。そして草鹿さんの存在を知り、もしかしたらこのふたりは指揮官として優れているだけではなく、人物としても井上さんより上なんじゃないか?そんなことを思うようになり、兵学校三七期の代表として、このお二人のことを書いてみたいな、という思いが募ってきたわけです。

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井上成美の遺言(予告編)

  目次

イントロダクション

 戦後の井上さんの姿勢
 兵学校校長井上成美中将
 石塚栄氏の訪問
予告編
 直接接点のない二つの頭脳
 二つの海軍軍縮会議
 クビをかけた二つの信念
 二・二六事件
 米内、山本、井上トリオ
 海軍首脳の無責任ぶり
 開戦
 兵学校校長へ
 東條内閣の更迭
 米内、井上、高木ライン
 終戦
 長井へ
あとがき
参考文献

兵学校校長井上成美中将
・・・当時は、英語を敵国語として、カレーライスを「辛味入り汁かけ飯」などと言わせていた時代です。
陸軍では、士官学校の試験から英語を外すことになりました。
アメリカは日本と戦争になると、日本や日本語の勉強を始めます。どっちが勝つかはこれだけで分かりそうなものです。
が、海軍兵学校の話。
教頭司会による教官会議が開かれます。英語科教官以外はみんな陸軍にならえです。陸軍追従というよりはもっと切実で、英語を嫌って秀才がみんな陸軍に行ってしまう。と、こう考えたようです。
教頭「これでよろしいでしょうか」と井上さんに決済を求めます。
「兵学校は将校を養成する学校だ。自国語しか話せない海軍士官など、世界中どこへ行ったって通用せぬ。英語嫌いな秀才は陸軍に行ってもかまわん。外国語一つもできないようなものは海軍士官にはいらない」
さらに、「英文和訳なんぞ、ダメだ!」と、英和辞典を廃止、英英辞典を全生徒に使わせる、というずいぶん本格的というか思い切った方針をとります。・・・

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