米内光政正伝

米内さんって人気あるんですよね。
副題にこんなのついてます。
「肝脳を匡の未来に捧げ尽くした一群人政治家の生涯」
幣原内閣誕生の時、
米内さんはさすがにもう体がもたないと思ったんです。
それで、お断りして豊田副武を推しました。
幣原さんはやむなくその線で
マッカーサーにお伺いを立てますが、
マッカーサーが米内でなきゃだめだ。というんです。
豊田副武はAダッシュ戦犯候補になっていましたから、
というのもあるんですが、やはり向こうでも米内さんの評価は高かったようです。
このとき、米内さんは血圧が260でした。

お酒好きでしたけど、それよりも、、。
まぁ、それもあって、としましょうか。
米内さんは配給食のみで終戦を生き抜きましたので、
かなり栄養状態も悪かったと思います。
副官とかが気をまわして、
なにかと米内宅に届け物をするんですが、
「父に叱られましたから」と、
未亡人となって家に入っている娘さんが返しに来るんです。
昭和20年水無月の8日、
重臣会議の席で、秋永月三内閣総合計画局長官が
「秋には石油はじめ軍需品が不足して、
 戦争遂行能力がなくなり、
 国民のなかに餓死者が出はじめるかもしれない」
という報告をしていますが、このこと、実感をもって理解したのは、配給だけで生きていた
米内さんくらいだったんじゃないか、なんて思ったりします。
こういう、清貧って、日本人は好きなんですよね。

米内光政正伝

実松譲  〈光人社〉

目次
序〈阿川弘之〉
まえがき
第一章  出会い
 努力、努力、努力の人
 欧州方面の実情を知る
 慈父のごとき米内艦長
第二章  母と子
 自身の意見を持つべし
 激動の昭和を邁進する
 何事にも一身を掛けよ
第三章  盧溝橋
 境遇を意義あらしめる
 政党政治をほふる陰謀
 「金魚大臣」の真骨頂
 抜き差しならない日本
第四章  下剋上
 「兵とは国の大事なり」
 日米関係悪化への序章
第五章  暴走
 筒抜けのマジック情報
 仏印進駐と対日包囲網
 リッベントロップの怪
第六章  大御心
 張鼓峰事件のてんまつ
 乗じやすき国――日本
 世界の情勢にどんかん
第七章  霞ヶ関
 私はきっと帰ってくる
 井の中の蛙の鬩ぎ合い
 主張と信念に忠実な人
 刻々クーデターの危機
 国を憂える一握のひと
第八章  分岐点
 うごめく青年将校たち
 統制を失った帝国陸軍
 日独伊三国同盟の裏表
 米内海相退陣のみやげ
第九章  立往生
 山本を殺してはならぬ
 こじれた日米関係の糸
 次は米内にしては如何
 斎藤隆夫の”反軍演説”
 ”バスに乗り遅れるな”
第十章  西園寺
 米英独ソ対日本の関係
 日独伊三国同盟の陥穽
 駆逐された海軍良識派
 英米蔑視の風潮を生む
 バスに乗り違えた海軍
第十一章 嵐の前
 戦争にいたらない方法
 どんづまりの日米交渉
 ハワイ奇襲ナゾの漏洩
 日本に勝利の機会なし
 お先不明の時代へ突入
第十二章 聖断
 米内邸に集まった人々
 ソロモン消耗戦のあと
 東條内閣の崩壊と天皇
 難局を収拾するてだて
 統帥を離れて政治なし
 油も資材も底をついた
 和戦について紆余曲折
 理外の理か死あるのみ
 ソ連を頼った日本の愚
 二つの原爆とソ連参戦
 天皇が下した最後の断
 我一人生きてありせば
 戦争終結にいたる道程
第十三章 永訣
 天皇ラジオ放送の前後
 ある日の料亭「山口」
 海軍少佐国定謙男の死
 名刀「国重」のゆくえ
 天皇との別れに際して
 本土決戦回避のために
 ナイス・アドミラル!
 とぼけ通した東京裁判
 束の間に一私人として
 肝脳を国家に捧げ尽す
あとがき
資料談話提供者
参考引用文献
米内光政 年譜

見事でしょ。
小見出しの文字数がパーフェクトに揃ってますよね。
実松さんってこういう人だと思います。

阿川さんが〈序〉を寄せてます。

思えば帝国海軍最後の十年間の歴史は、
勝算の無い対米戦争を何とか回避しようとしながら、
時勢に流されて遂にその志を遂げ得ず、
苦戦の末、予期した通りの終末を迎えて
自らの手で自らを葬る歴史であった。
米内光政は、その帝国海軍の最後を象徴するような提督である。
著者の実松さんは、昭和13、4年、
米内・山本の海軍が日独伊三国同盟の締結に
頑強に反対していたころの海軍大臣秘書官、
日米交渉の時代には在米海軍武官補佐官、
開戦後帰国してからは
軍令部出仕兼海軍大学校教官の要職にあった人である。
米内のものの考え方や人となりに関しては、
最もよく肌身を以て感じとっていた人物の一人であろう。
米内提督のことを書いたものは、
先に小泉信三の「米内光政」、
緒方竹虎の『一軍人の生涯』があるが、
今度実松さんは、豊富な資料と自己の貴重な見聞にもとづいて、
立派な米内光政伝を書き残してくれた。
これは、史実に忠実でありながら
少しも固苦しいところや気張ったところが無く、
米内を深く愛惜しながら独りよがりのところの無い、
米内光政の人柄が
そのまま乗りうつったかと思われるようにすぐれた文章である。
敗戦の折、
陛下が自ら不服の陸軍将校たちを説得してもよいと言い出されたのを、
陸軍大臣はさようお願いしたいと受けたのに対し、
海相の米内は、
「そんなことをお上にお願いせねばならぬようなら、
僕は大臣がつとまらぬということなのだ。
大臣は輔弼の責任をもっている。
陸軍大臣がどういうつもりであるとしても、
海軍大臣としてはご辞退申し上げる」と答えたというくだり、
年少にして身を海軍に投じ、
五十年勤め上げてきたその帝国海軍の葬送の役を果たすことを、
自分の最後の使命と米内が観じて、
医務局長に、「自分の健康は大大臣がつとまるか」と訊ねた上で、
淡々として終戦処理の東久邇内閣の海相に留任するくだりなどは、
読んでいて私は涙をもよおした。
実松さんには、私は、過般、
山本五十六伝を執筆の際、多くの助言と資料を与えられた者であり、
旧海軍での階級秩序は言わぬとしてもはるかな先輩であり、
このような文を草するのは順逆を誤るものではないかと思うが、
乞われるままに感想を誌して序に代える。

開戦後帰国してからは軍令部出仕とあります。
実松さんはアメリカ担当の情報参謀。
国内での捕虜の扱いは陸軍が担当です。
でも情報が欲しいんで、陸軍に渡す前に大船で尋問するんです。
このときに捕虜から情報を聞き出したりしたことがあったため、
東京裁判に引っかかっって
実松さんはけっこう長く巣鴨に入っていました。

米内光政正伝