海軍参謀

「艦隊令」にはこのように書いてあるそうです。
「司令長官の幕僚たる参謀長は、司令長官を佐け
 隊務を整理し、幕僚その他隊務に参与する職員の職務を監督す」
「司令長官の幕僚たる参謀は参謀長の命を承け
 艦隊の軍紀、風紀、教育、訓練、作戦等に関することを掌る
 機関科将校たる参謀は前項の規定によるの外機関長の命を承け服務す」

山本五十六さんの連合艦隊でいいますと、
宇垣纒参謀長が黒島亀人先任参謀以下に命じて
各専門分野を研究させたり処理させるべきなのです。
ところが、山本さんは黒島仙人に作戦を任せちゃう。
将棋相手の渡辺安次戦務参謀が、長官の意思を忖度して周りに伝える。
こんな流れで宇垣さんは蚊帳の外でした。
黒島なんて人は、仙人参謀とか変人参謀とか呼ばれてた
ただの変わり者です。
どう贔屓目に見ても、百人でかかっても秋山さんには及ばない。
そして、最大の問題は参謀長がラインから外れちゃってることです。
本来なら宇垣さんが黒島以下の手綱を握ってなきゃいけないのに、
その手綱を、山本さんが取り上げちゃって、
さらに、山本さん自身がその手綱を離しちゃってる状態。

参謀長の仕事は、各参謀の手綱を握るってことと、
もう一つ大事な仕事があります。
長官に誤りがあればそれを正す。これが佐けるです。
ところが宇垣さんは遠ざけられてます。
悪いことに、宇垣さんが参謀長として着任する前に
作戦は出来上がってたんですね。

海軍反省会でも、かなりこの人事に関しては
問題になっておりまして、
山本という人、黒島という人、その個人の適性の問題もあるが、
司令官と参謀長というコンビネーション、これは非常に大切だ。
人事局は何考えてたんだ、みたいな。

海軍参謀

吉田俊雄 〈文春文庫〉

  目次
第一章 海軍参謀とは
 一 戦いは人なり
 二 海軍参謀はカゲの人
 三 参謀はどう作られたか
  (一) 教育
  (二) 兵術思想
  (三) 「海戦要務令」
  (四) 人事
 四 参謀の職務と実務
第二章 海軍参謀像
 一 黒島亀人
 二 宇垣纒
 三 福留繁
 四 定岡定俊
 五 神重徳
 六 草鹿龍之介
 七 源田実
 八 沢本頼雄と井上成美
終章 失敗の教訓
 一 失敗の教訓
  (一) やはり現実的なポリシーが必要だった
  (二) やはりマニュアルが必要だった
  (三) 歴史の読み方がたりなかった
  (四) 人事と教育を二重構造にした
 二 陸軍参謀と海軍参謀
  (一) 体質の違い
  (二) 参謀の性格の違い
 あとがき

源田実は、同期の淵田美津雄にこうもらしています。
「いつでも自分の起案した命令案が、スラスラと通ってしまう。
抵抗がなくていいようなもんだが、実は違う。
自分だけの考えで起案したものが、

いつも上の方で、何のチェックも受けずに、
命令となって出ていくと思うと、そら恐ろしい。
おれ自身は、いくら自惚れても、もとより全知全能ではない。
重大事項では、いろいろと判断に迷う。
ところで自分の判断ひとつで、
直に国運が左右されるかもしれない影響を及ぼすと考えると、
重大な責任感に圧迫されて、自然と委縮してくる。
これが大西瀧治郎少将や、山口多門少将あたりが上にいてくれると、
必ず案をチェックして、あらゆる角度から叩き直して突っ返してくる。
そうなるとこちらも安心して、
思い切り自由奔放な作戦構想も練られるというもんだが」

これは南雲忠一さんの艦隊の話です。南雲さんは水雷の人。
チェックすべき参謀長は草鹿龍之介。
草鹿は飛行機乗りではないんですが、
一応航空に明るいということで選ばれたのだと思います。
先任参謀は大石保、この人は航海です。
源田実は航空参謀。このとき中佐の二年目。
こんなのに艦隊を任せちゃいけません。

こう考えたとき、指揮官もさることながら、
参謀長の人選は重要ですね。

そして、山本五十六さんの経歴を見ると、軍政一筋で
先任参謀、参謀長の経験がありません。
艦隊司令長官も、連合艦隊が初めてでした。
戦争が始まる前に陸にあげるべき人でしたでしょうね。

海軍参謀



指揮官と参謀

なんか、この手の作品が多いんです。
吉田俊雄さん、海軍兵学校第59期。
終戦で中佐になった期です。
永野さん、米内さん、嶋田繁太郎の副官をしていますから、
気になったんでしょうね。指揮官。
ボクの持っている本の中では比較的早い段階のものです。
80歳を過ぎたころの作品が多いですね。
ボクの勝手な想像ですが、
やはり、中佐ぐらいになった方
特に実際に大臣になった人の副官などしていれば
「やはり、残さない方がいいか、、、」
なんて思うエピソードとかもあると思うんですよね。
でも、80にもなると、その人たちと
同じだけ生きたことになるし、言ってもいい、残すべき。と、
ちょっと違った視点というか、
ある程度割り切った考えに達するんじゃないか。
そんなふうに思えたりもします。

指揮官と参謀

その思考と行動に見る功罪

吉田俊雄 〈光人社〉

  目次
一、先見性・山本五十六
 艦隊決戦から航空主兵の時代へ
   主体的で視野の広い軍政家山本と部下、
   軍令部との認識上のギャップが悲劇を生んだ
二、年功序列・山本五十六と小沢治三郎
 悲劇に彩られた二人の司令長官
   生死を度外視、知能の限りを傾けて
   己の職責を果たすべく情熱を燃やしつづけた
三、上将と猛将・山本五十六とハルゼー
 太平洋で睨みあった異色の好敵手
   奇しき縁に結ばれた日米の二人の司令長官は
   虚々実々の秘術を尽くして戦いつづけた
四、適材適所・南雲忠一
 難局で問われた指揮官の真価
   勇猛果敢な水雷戦隊司令官は、なぜ
   航空艦隊司令長官になって因循姑息に豹変したか
五、逆境・山口多聞、角田覚治、大西瀧治郎
 退勢挽回をはかった三人の提督
   絶体絶命の窮地にあっても、攻撃こそ
   最良の防御なりを実践して果敢に戦いを挑んだ
六、決断・栗田建男
 沈黙の提督、レイテ突入せず
   死中に活を求め、すさまじいまでの決意を抱いて
   決戦にのぞんだ栗田艦隊指揮官の真実
七、責任感・西村祥治
 水雷屋提督、スリガオに死す
   任務を達成しようという責任感で常に
   事にあたった私心なき知勇兼備の提督の真骨頂
八、指揮官先頭・村田重治と江草隆繁
 海軍魂をもった二人の猛将の最後
   艦攻の鬼、艦爆の鬼とうたわれ、つねに
   先頭きって飛びつづけた第一線指揮官の風貌
九、参謀の条件・宇垣纒、福留繁、草鹿龍之介、矢野志加三
 連合艦隊司令長官と四人の参謀長
   変化への対応ができなかった上部指導機構の
   頭脳たちは無能な失格者ぞろいだったか

開戦時の連合艦隊司令部

真珠湾攻撃後、海軍省は報道禁止事項を示達したそうです。
「連合艦隊司令長官山本五十六大将が勝負事に巧みなること」
山本さんはモナコのカジノで入場を断られるほどバクチがうまく、
断られたのは世界で二人目だという伝説になったとか。
シマハン(嶋田繁太郎海軍大臣)としては、
それを真珠湾とからめて論じられては
海軍の恥辱とでも考えたのだろうと吉田さん。

兵学校、術科学校、大学校で徹底した均質化教育をされ、
それぞれのレベルでは、だれをそのポストに配しても、
そのために戦力を落とさない規格品の海軍士官
――悪い言葉で言えば、教えられたところを忠実に実行し、
私見を差し挟まずに行動する、
将棋の駒のようになった人たちに比べると、
五十六さんは異質である。と、こうも言っています。

そんなわけで、
五十六さんは主体性を持った人が好きだったようですが、
黒島の場合はただの変人であったと、
いや、今の言葉でいえばオタクでしょうね。
そう見極めて活用すれば、
それは非常に生かされたのだと思いますが、
先任参謀にしてしまった。
せめて宇垣さん(参謀長)が、
黒島に具体的な指示を与えてこき使うような
形になっていればよかったんですが、
五十六さんは黒島の変人の才を愛するあまり、
宇垣さんを飛び越えさせてしまっていました。

五十六さんが連合艦隊司令長官になってからすぐ、
参謀長は福留に替わります。
永野さんは軍令部総長になったときに福留を欲しがります。
それでじゃあ一部長の宇垣(福留、宇垣は同期)と
交換しようってことになったんだけど、
五十六さんが婉曲にお断りします。
「戦隊司令の経験のない人は、、、」
ようは宇垣さんのことが嫌いなんです。
それで、宇垣さんは第八戦隊の司令官になって、
第八戦隊の司令官だった伊藤さんが参謀長になります。
今度は永野さんが伊藤さんを次長に欲しいって言いだします。
宇垣さん、「司令経験あり」になっちゃったもんだから、
もう、五十六さんも受け入れるしかなくなっちゃったんですね。
これが、昭和16年の葉月で、
真珠湾の作戦は出来上がってました。
そんなわけで宇垣さんは蚊帳の外状態で開戦を迎えるのです。

このとき五十六さんは五十六さんで、
そろそろ俺も交代だろう。なんて思いもあります。
なにがなんでもって、参謀長の適任者を
模索するって意欲が薄かったのかもしれませんね。

それぞれの参謀長

吉田さんはこのように説明しています。参謀長とは、
「司令長官の幕僚として司令長官を佐け、隊務を整理し、
 幕僚その他隊務に参与する職員の職務を監督する」
足りないものを補って完全なものにするのであるから、
長官の言うままに従うのでは
参謀長の職責を果たしたことにはならない。
そして、
先任参謀以下の参謀はこれとは違う。といいます。
「参謀長の命を承け服務する」
参謀長の言うままに従わなければならない。

これを見れば明らかで、参謀長というのは
指揮権はないものの非常に重要な役目です。
それをないがしろにして、変人参謀に任せた。
五十六さんは任せた相手を尊重しますからなおさら良くない。

五十六さんのあとをとった古賀さんは、福留をもらいます。
この福留って人は
「戦略戦術の大家」なんて言われ方をしていたんですけど、
ジツは教科書の内容をたくさん覚えただけで、
イレギュラーなことには全く機転が利かないタイプ。
ここまで言っちゃ失礼かなとも思うんですけど、
吉田さんも言ってるし、何よりもご本人が告白してます。
「多年戦艦中心の艦隊訓練に没頭してきた私の頭は転換できず、
 南雲機動部隊が真珠湾攻撃に偉功を奏したのちもなお、
 機動部隊は補助作戦に任ずべきもので、
 決戦兵力は依然大艦巨砲を中心とすべきものと考えていた」

吉田さんはさらに手厳しいですね。
豊田長官の場合は、南雲艦隊参謀長として戦ってきた
ベテランの草鹿龍之介を引っ張った。
しかし、豊田に輪をかけた主観性、直感性、心情性の持ち主で、
性格の似た者同士、すっかり欠点が増幅されることとなった。

指揮官と参謀

航空作戦参謀源田実

山本五十六さんは、真珠湾奇襲をしたくて
大西さんに手紙を書きます。
「開戦劈頭、わが第一、第二航空戦隊飛行機隊の全力をもって痛撃し、当分のあいだ米国艦隊の西太平洋侵攻を不可能とする必要がある。目標は米戦艦群であり、攻撃は雷撃隊による片道攻撃とする。本作戦は容易なことではないが、本職はみずからこの空襲部隊の指揮官となり、作戦遂行に全力を尽くす決意である。ついてはこの作戦をいかなる方法によって実施すればよいか、研究してもらいたい」
大西さんは、源田実を「相談したいことがある」と言って呼びつけると、この手紙を読ませました。

源田って人は、こういうの、好きなんですよ。
周りをアッと言わせるようなことね。
このときは第一航空戦隊参謀で、中佐です。

源田は素案を大西さんに提出し、
大西さんがまとめ上げて五十六さんに渡します。
ボクの想像ですが、
真珠湾攻撃のひな型はこのときにできてて、
黒島ってのちに特攻兵器ばかり考えてた先任参謀は、
これと言った独創性を付加したようなことはないんじゃないか。
そんなふうに思いますね。
こう考えたとき、源田には独創性はあったと言えるのではないか。

ただし、こんなことを同期の淵田さんに洩らしているんです。
「オレの案がスイスイ通ってしまう。このことが非常に怖い」
第一航空艦隊ができた時、源田は航空参謀になります。
長官は南雲忠一。
参謀長は草鹿龍之介。
先任参謀は大石保。
南雲さんは水雷、大石さんは航海。
草鹿龍之介は飛行機乗りではないんだけど、
周辺の勤務が多く、一応航空に明るいってことになってましたが、
下の意見を取り上げるってタイプの人で、
源田の意見がそのまま通るわけです。
「源田艦隊」なんて言われてたらしいですね。
中佐が艦隊を動かしちゃいけません。
本来であれば、中佐の判断と中将の判断とでは、
その深み重みが違うはずなんです。
源田という人はよく言えばチョープラス思考の人で、
思考的姿勢は頼もしいんですが、
最悪を想定した行き届いた作戦を考えるような
そういう幅には乏しかったんじゃないかと思います。
こういう点でいうと、
淵田さんの方が実務者タイプだったのではないかと思います。
その淵田さんを攻撃隊の総指揮官に、と
引っ張ってきたのは源田ですから、
自分の足りないところを
ある程度知っていたんじゃないかとも思えますね。

ミッドウェーでは惜しいことをしました。
ただでさえチョープラス思考なところに、熱を出してて、
細部にわたって目をやるってことができなかったように思います。
そして、頼みの綱である淵田さんは、
盲腸の手術をして寝てました。

源田って人は、自分のところに
いい搭乗員をそろえることに夢中になりましてね。
一期先輩の大井さんが、
「そんなに連れて行ってもらっちゃ困る。
後進育成のために教官にいいのを残しておかなきゃダメだろ」
そう言っても、あんたにゃ頼まない。ってなもんで
上の方にかけ合いに行っちゃうようなところがあるんです。
ボクのいうチョープラス思考っていうのは、
こういう意味を含んだ表現です。

そんな源田実を、
生出寿さんが批判的に書いたのが、この本です。

航空作戦参謀源田実

生出寿 〈徳間文庫〉

  目次
奇想天外
ハワイ奇襲に燃える
理想の名将
無我の境
幻の真珠湾第二撃進言
快勝また快勝
危うしインド洋作戦
乱れる連合艦隊司令部
その名も源田艦隊
東郷・秋山と山本・黒島・源田
摩訶不思議な主力部隊出動
不覚の敵情判断
山口多門の卓見
源田流用兵の破綻
大本営の誇大戦果発表
導師大西瀧治郎
マリアナ基地航空部隊の壊滅
最後の奇策「T攻撃部隊」
 初刊本あとがき
 参考文献
 解説 妹尾作太男

山本さんは、自らが率いて真珠湾攻撃をするつもりでいました。
「いざ開戦になったら、米内さんに復帰を願い、
 (米内さんはこのとき予備役です)
 連合艦隊司令長官になってもらって、
 自分がハワイに攻め込む」と、こんなことを
複数の人に手紙を送ったり言ったりしています。
ちょっとヘンテコな話ですが、事情がありました。
本来でいえば、着任してすでに二年を超えていましたから、
嶋田にでもあとを譲る。なんて思いでいましたが、
「今、山本さんに中央に来られては困る」
というのが、前のめりになってた課長級たちの思いでしたから、
たとえば「海軍大臣を」といったお声はかかりませんでした。

この時期もう一つ、持ち上がっていた話があります。
それまで第一艦隊は連合艦隊司令長官が直卒する。
という事になっていましたが、
第一艦隊司令長官を新たに設けて、
連合艦隊司令部は独立旗艦にしようという話です。
この話に乗じて、米内さんを連合艦隊司令長官に迎え、
自分は第一艦隊司令長官として前線に出る。と、
まぁ、こういう理屈でのハワイ攻撃参戦です。

もし、これが実現して、山本さんが自滅覚悟で
徹底的に真珠湾の基地そのものを壊滅状態にして、
その機を見て、米内さんが和平の話を中央に持ち掛けたところで、
中央が、幕引きを考えてなかったんですから、
どうなるわけでもありませんでした。
このダメージにより、
太平洋側の米海軍が足腰立たない状態になって、
反撃に移るのに何年かかかるようなことになったとしても、
その間に、マリアナ・カロリン諸島のラインで
敵潜水艦の出入りを完全にシャットアウトするぐらいの
シーレーンの確保を真剣に考え、実施しようとする人は
中央の要職にはいませんでしたから、
時期がずれるだけで、悲惨な結果になっていたと思います。

何が言いたいかと言いますと、
和平を真剣に考えたいのであれば、
米内さんは連合艦隊司令長官ではなく、
海軍大臣、せめて軍令部総長のはずです。
それなのに、山本さんは自分が暴れやすいように
直属の上司に米内さんが欲しかっただけなんじゃないか?
ボクは、こんなふうに思っています。

大西さんは、頼まれて真珠湾攻撃の原案を起案しましたが、
開戦間際になって「やめましょうよ」って、
山本さんのところまで出向いています。

大西さんの考えは、
「日本の力でワシントンを攻め落とすことはできない。
 となれば、いいところで講和に持ち込まなきゃならない。
 であるならば、アメリカ国民を刺激するような
 真珠湾攻撃なんてのはやるもんじゃない」
こんな考えでした。が、面と向かってここまでは言えず、
さすがの大西さんも言えなかったんですね。
で、大西さんはこのころ南方の航空部隊の参謀長ですから、
「南方作戦には母艦機を使わないと、戦力的に手薄です。
 ハワイに持っていくのは考え直してもらえませんか」
こんな言い方になっちゃった。
こういうのって「じゃあ、そこんとこ解消できたらオッケーね」
って言われちゃうと、詰んじゃうんですよね。

真珠湾攻撃っていうのは、
二重にも三重にも四重にも
結果的にいうと、やっちゃいけない作戦でした。
違う言い方をすると、
アメリカに、結果を最大限に利用された作戦でした。

でも、戦争ですから、戦闘的には成功は成功で、
帰ってすぐ、山本さんは
「勝って兜の緒を閉めろ!」って、
結構強い口調で言ってるんです。
これを司令官クラスがキチンと受け取っていれば、
おそらく暗号を取られていても、
ミッドウェーは勝っています。
そこを考えると、意識が全く違い過ぎたんだと思います。
当然です。
機動部隊は中佐が動かしていたんですから。
せめて、南雲さんの参謀長が山口さんか大西さんであったなら、
そんなことを考えちゃいますね。

航空作戦参謀源田実






井上成美の遺言(海軍兵学校第37期編〈中2〉)

  目次
イントロダクション
第三十七期編〈中2〉
 レイテの前のあれこれ
 レイテ前夜
 栗田艦隊出撃
 反転、再反転
 ハルゼーの釣り上げ
 西村艦隊の突入
 突然の会敵
 オトリ作戦のみの成功
 謎の反転
 総括
あとがき
参考文献

  イントロダクション
・・・開戦時、真珠湾攻撃の成功を知った日本国民は、小躍りして喜びました。しかし、この時、世界で一番喜んだのはイギリスの首相チャーチルでした。チャーチルはルーズベルトにアメリカの参戦を懇願していたんです。 日本国内にも暗然とした人々はいました。米内(光政、二九期)邸に集まった、米内内閣時の外相有田八郎さんや書記官長だった石渡荘太郎さんらです。しかし、この時、世界で一番激怒したのは、ナチスを率いるヒトラーでした。ヒトラーはなんとしても参戦したいルーズベルトの画策には乗らず、アメリカ艦船にだけは攻撃を加えなかったのです。「なんということをしてくれたのか!」 これがこの時のヒトラーの本音だと思います。

豊田からすれば、南雲長官は惨敗しながら帰還を許され、これからの連合艦隊司令長官は前線に出なくていい。というのですから、ありがたい参謀長(草鹿任一の従弟、草鹿龍之介)に映ったのではないかと考えるんです。
ただし、草鹿さんの考えでは、重要な場面では必要な幕僚を帯同して司令長官が前線に出動するはずでした。ボクは、レイテには豊田が「大和」に乗って突っ込むべきであったろうと考えていました。

Amazon Kindle 井上成美の遺言(海軍兵学校第37期編・中2)