最後の海軍大将井上成美

井上さんは、大将になることを
文書にして拒みました。
「大将進級に就き意見」
「当分海軍大将に進級中止の件追加」
「当分大将進級を不可とする理由」などです。

昭和20年になってから、米内さんが内示をしたんですね。
で、その場で辞退したんだけど口頭ではなぁ。と、
文書にしたわけです。
それでも米内さんは井上さんを大将にします。
「陛下が裁可されたから」と、
井上さんとしても、これは拒絶できません。

そんな分けで、大将になるのは五月まで延期されました。
井上さんと同時に一期先輩の塚原二四三さんも大将候補にあげられていました。
井上さんが固辞し、しかも、次官として、この時期に大将をつくることそのものに否定的な文書を出しておりますので、「井上のセイで・・」と、塚原さんは嘆いていたようです。
大佐の時から塚原さんと井上さんは同時に上がっていますから、
中佐に先になっている一期先輩の塚原さんの方が先任者。
そんなわけで、大将の名簿を書いた場合、井上さんが一番最後にきます。

最後の海軍大将井上成美

宮野澄 〈文藝春秋〉

序 章 雨脚のはげしい日に
第一章 人ノ美ヲ成ス人生を
第二章 かわい気のない男
第三章 昭和の動乱の中を
第四章 敗戦の歴史とともに
第五章 教育者としての道を
第六章 名コンビも崩れて
終 章 逼塞生活に徹して
 あとがき
 参考文献
 青年士官教育資料 井上成美

井上さんは13人兄弟の下から二番目で、
「井上家は秀才ぞろい」と評判が立つほどであったそうで、
長兄の秀二などは、中学の時、あまりに頭が良すぎて教師たちの反感を買い、将来慢心のあまり社会を甘く見てはいけないなどと理由をつけられて、一年落第させられています。そして、落第させられても卒業を待たずに高等学校へ入学し、京都帝国大学へ進んでいます。

井上さんは教育者で、軍人には向かなかったといわれます。
四艦隊長官として指揮した珊瑚海海戦での評判がよろしくないわけですが、
珊瑚海海戦に関しては、かなり井上さんにとって不利な状況が重なっています。
その点に関してはこちらを参照。
      ↓↓↓↓

井上成美の遺言(海軍兵学校第37期編〈中〉

まぁ、不利な状況の中であっても、
たとえば小澤さんや草鹿さんであったらどうだったか、
こういう見方をしたときに、戦況が変わったようにも思います。

井上さんは、実際に決断力・実行力もありますから、
「腰抜け」という部類ではないんです。
ただ、実戦を指揮するには人が優しすぎたような気がします。

開戦には全力で反対し、終戦工作をした人ですし、リベラリストです。
では、九条信者のような人だったんでしょうか。
まったく違います。
「国が独立を脅かされたときは、とにかく立つ。そのためには軍備というものが必要だ。国の生存を脅かされ、独立を脅かされた場合には立つ。そのかわりに、味方をつくっておかなけりゃいけない。自分じゃ勝てない。正々堂々の主張をするならば味方ができる、とわたしは考えています。弱い国を侵略してそれを征服して自分のものにしようということをする者は、必ずほかの国の批判にあって、みそかの晩の金勘定の清算をさせられる時が来る、と思う。軍備というものはいらないじゃないか、戦争しないのなら。そういう意味じゃないですね」
これは、加藤友三郎大将がワシントン軍縮会議で
10対6の割合をのんだときの、
「あれでよかった」よかったんだけど、軍人としては悔しかったんですよ。
でも、国力が小さいってことはそういうものでね。
というお話の中での国防、軍備に対する井上さんの考えです。

このころ、山本五十六さんや古賀峯一さんなどの割合に対する考えは、こんな感じ。
「日本が米英の10分の6に抑えられたと考えるべきではない。国力からいっても、国土の広さからいっても、アメリカとイギリスが日本に対して6分の10で我慢していると見るべきだ」

もうひとつ、井上さんが皇族、伏見宮様をどう見ていたか。
「宮様はね、一番先に話をもっていって、これはこうしたほうがいいと思いますというと、すぐその気になってしまう。一番先に乗り込んだものが宮様に取り入って、結論を出してしまう。宮様の扱いはよほど気をつけないといけない、自分の正しいと思うところにもっていこうと思ったってできないよ。宮様というのは、そういうふうに育っているのだから仕方がない。下の者が持ってくる問題をよきに計らえということになる。それに対して、ハテナという疑いを持とうともしなければ考えてみようともしないんだからね。だから、自分で考えろと要求する方が無理で、むしろお気の毒ですよ」

最後の海軍大将井上成美

反戦大将井上成美

井上成美さんに関する本というのは、非常に少ないです。
ちょっと、先の大戦のことに興味を持ったら、必ずぶち当たるビックネームにしては、という意味です。

まぁ、そのおかげで、無名のボクの本でも検索に引っかかることがあるようなんですけどね。

井上成美の遺言

井上さんって、かなり重要なエピソードがたくさんある人なんですけど、キチガイみたいに筋が通り過ぎてて、たぶん読み物として面白くならないんですよね。

反戦大将井上成美

生出寿 〈徳間書店〉

  目次
まえがき
苦難の一生と井上家の人びと
安心して死なせてくれ
一等大将加藤友三郎の対米不戦論
海軍分裂が不幸のはじまり
職を賭して伏見宮とたたかう
日独伊三国同盟つぶしの急先鋒
ドイツはかならず負けるよ
海軍をまやかした松岡外相の痴人の夢
反戦井上の一生の不覚
バカヤロー、何が「奇襲ニ成功セリ」だ
理にかなっていた珊瑚海海戦
井上校長の教育改革
日本初の終戦工作に踏み切る
天皇制より民族保存が第一
あとがき

陸軍の場合、大臣というのは何となく頼りない感じがあります。
ちょっと、表現が違うかな。
陸軍の司令官と言われる人たちですね。
そういった実行部隊の長が陸軍大臣よりも偉かったりするんです。
人事の面でいいますと、
陸軍大学校(参謀になる学校)を卒業しますと、
その人の人事権が参謀総長にいきます。
参謀本部がとんでもない権限を持っておるわけです。

海軍の参謀部は軍令部といって、
陸軍みたいなことはなく、
大臣に権限が集中し、一枚岩みたいになっていました。
ところが、伏見宮という皇族が軍令部総長に祭り上げられたとき、変化が起きます。
この伏見宮様というのが、厄介なことにドイツに留学していまして、
お飾りでなく武人でもあったために、すごい発言力を持ってしまうわけです。

このとき井上さんは大佐。
軍令部が権限を広げようと改変を求めてきたとき、
井上さんは海軍省軍務局一課長として、
伏見宮を敵に回してハンコを押しませんでした。
首を覚悟していたんですが、
「井上はあっぱれだ」と伏見宮様が言い出して
左遷どころか、陛下のお召し艦の艦長になります。

少将のときは、横須賀鎮守府参謀長として
2・26事件のときに迅速な対応をしたり、
軍務局長として三国同盟成立を阻止します。

中将になってからは、
航空本部長として「新軍備計画論」を大臣の及川に渡し、
また、日米開戦には断固反対し左遷されます。
開戦時は第四艦隊司令長官。
戦に向いてなってことで、海軍兵学校校長になります。
本人は「ホッとした」と、後に漏らしていますね。
その後中央に呼ばれて海軍次官となり、終戦工作に尽力します。

この海軍兵学校校長時の功績が素晴らしいんですが、
これは長くなりますので『井上成美の遺言』でも読んでください。

戦後の井上さんは、
村の子供たちに英語を教えてひっそりと暮らしていました。
そのころの海軍関係者の井上さんに対する評価で、
ある意味、的を射た表現だと思うものがあります。
井上さんが校長をしていたころ
企画課長をしていた小田切さんの問いかけに、
終戦時の軍務局長で、
当時国会議員となっていた保科さんが答えたという会話です。
「井上さんのような人物を放っておくことは、後輩として全く不本意です。もっと考えて差し上げられないものでしょうか」
「心配することはないですよ。そのうち再軍備ができたら、陛下や皇太子殿下に軍事についての御進講をする方は井上さんを措いてほかにないと私は思っています」

反戦大将井上成美

井上成美の遺言(海軍兵学校第37期編〈中〉)

  目次
イントロダクション
海軍兵学校第三十七期編〈中〉
 バタビヤ上陸
 ジャワ攻略
 今村軍政(前)
 サンゴ海海戦
 今村軍政(後)
 ガダルカナル撤退
 命令一下、出で発つは
 消耗戦から籠城戦へ
 海軍乙事件
 マリアナ海戦
あとがき
 状況判断
 統帥乱れて
参考文献


・・・山下将軍(陸一八期)は猛将などと言われます。二二六事件を起こした青年将校に対して同情的な態度をとったため、中途半端に干された形になっていましたが、いざ開戦となり最重要地区と判断されたマレー作戦の司令官におされたほどの人です。マレーの進撃、シンガポールの早期降伏は山下将軍の力量に大きくうながされたものと思います。・・・山下将軍といえば「イエスかノーか!」ですね。

日本側は全軍の即時武装解除を要求していた。パーシバルは内容を一読し、しばらくしてこう言う。
「シンガポール市中は混乱している。非戦闘員もいるので一〇〇〇名の武装兵を残置することにしてもらいたい」
「日本軍が進駐して治安を維持するから心配はいらない」
「英軍はシンガポールの事情をよく知っているので一〇〇〇名の武装兵を保持したい」
「日本軍がやるので安心されるがよい」
「市内では略奪が起こる。非戦闘員もいることだから・・・」
いつまでもウダウダと続けるパーシバルですが、山下からしたら話がつかなければ攻撃は続行せざるを得ず、さらなる犠牲者を出したくないのだ。山下は作戦課長の池谷に確認する。
「夜襲する時刻は?」
「二〇時の予定です」
パーシバル「夜襲は困る」
山下「いったい英軍は降伏するつもりかどうか?」
 間をおいてパーシバル。
「停戦することにしたい」
ここで山下が杉田に向かって放った言葉がこれである。
「夜襲の時刻が迫っているから、英軍に降伏するのかどうか『イエス』か『ノー』かで返事してもらえ」
パーシバル「イエス。一〇〇〇名の武装を認めてもらいたい」
「それはよろしい」
 山下はあっさり答えたという。
 西洋人であるパーシバルは、自分の意見を述べ、細部まで相互に諒解したうえで降伏文書にサインしたい。日本人である山下は、まず降伏の諾否を決定し、細部の事務手続きなどは後回しでいい。死力を尽くして戦った相手が白旗をあげたのだ、わるいようには決してしない。このような感性は西洋人には通用しないのであろうが、とにかく、杉田の言うように、「現地の報道陣が大げさに山下の威容を報道し、戦勝に酔った点があった」のであろう。

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