深謀の名将島村速雄

日本海海戦のビッグネームといえば
東郷平八郎さんと秋山真之さんでしょう。
しかし、見逃してはならないキーマンがいます。
日本海海戦時の参謀長は加藤友三郎さんでしたが、
もともとは同期の島村速雄さんでした。

東郷さんが山本権兵衛さんから連合艦隊司令長官の要請を受けたとき、このように念を押されました。
「万事中央の指図どおりに動いてもらわねば困る。この点はどうか」
「それでよろしい。ただ、参謀だけは自分に選ばせてもらいたい。それから開戦までは中央の指示に従うが、戦場においては、大方針は別として、その他のかけひき一切は任せてもらいたい」

東郷さんが指名した参謀は二人です。
一人は秋山真之作戦参謀。これは誰もが認めるところです。
もう一人が有馬良橘先任参謀。
まったく名前の挙がっていなかった人選で、権兵衛さんは驚きます。
「あんな忠実な男はいない」
東郷さんの戦場指揮官としての実践的見識に、権兵衛さんは舌を巻いたそうです。
島村さんの名前が出てきませんが、これはあまりにも当然であったためです。

深謀の名将島村速雄

生出寿 〈光人社〉

第一章  「智信仁勇厳」の将
第二章  少年午吉
第三章  一番星のような海軍戦術家
第四章  日清戦争の連合艦隊作戦参謀
第五章  世界が感嘆した武士道
第六章  晩婚の果報亭主
第七章  三名将の組み合わせ
第八章  日露戦争の連合艦隊参謀長
第九章  旅順郊外の難戦
第十章  下瀬火薬実用化に挺身
第十一章 峻厳なる反省
第十二章 大局のための転任
第十三章 ロシア艦隊捕捉の新兵器
第十四章 大勝へ人知れず貢献
第十五章 海軍一の国際通
第十六章 第一次世界大戦の軍令部長
第十七章 車の両輪の島村と加藤
  あとがき
  参考引用文献

東郷さんは、明治33年にも常備艦隊司令長官(戦時は連合艦隊司令長官)をやっておりまして、
島村さんは2ヵ月遅れで大佐の参謀長として、
秋山さんは5ヵ月遅れくらいで大尉の参謀として、共に援けています。
ただし、島村さんはすぐに教育本部にとられてしまい、
秋山さんとはひと月と少ししか重なっていません。
が、このとき島村さんは参謀としての心得を秋山さんに説いています。

この時すでに秋山さんは誰もが認める戦術家で、
島村さんも東郷さんも秋山さんの頭脳には感嘆しておりました。
ただ、ちょっと、秋山さんには問題がありました。
常識の糸が所々で切れているような、野生児みたいなところがあったのです。
短期間にそれを見抜いた島村さんは、こんなふうに諭したのです。
「参謀の不注意のために、司令部と旗艦職員との間に面白くないことが起こることがある。それは参謀が長官の意を受けてすることでも、ややもすると参謀の考えで艦長、副長などの行為に干渉するように見られるからだ。だから、信号の揚げ降ろしでも、前に命ぜられていても、長官が艦橋におられたら、いちいち長官の指図を伺ってやらないといけない。参謀長以下のすることは、長官の命令を伝えるものだから、自分勝手にやっていると見られないように慎まねばならないのだ。まして自分の考えだけで、前艦橋において艦長や副長のやることが、長官の意図に副わないと判断して、勝手にこれに干渉するようなことはいけない」
もし、この機会がなかったのなら、秋山さんの軍人の道のりは違ったものになっていたかもしれません。

山本五十六さんの先任参謀であった黒島は、
この秋山さんの奇行スタイルのみをまねて
仙人参謀なんて言われてバカにされてました。
宇垣さんは決断力実行力など、ある意味立派なところがありましたが、
深謀さにおいて、残念ながら、まったく足元にも及ばない感じですね。

深謀の名将島村速雄