悪魔的作戦参謀辻政信

「稀代の風雲児の罪と罰」という副題がついてます。
まぁ、越権行為は陸軍の専門特許ですから、
いや、それにしても、この人はひどかったみたいです
ただ、ボクの印象では黒島亀人なんかに比べたなら
アイディアいうか着眼というか、いいものを持ってたと思いますね。

第25軍がコタバル上陸を言い出しますが、
これ、この辻政信が提案したんです。
身の危険を冒して偵察にも出ています。
ただ、山下奉文さんはこう書き残しています。
「この男、やはり我欲強く、小才に長じ、いわゆるコスキ男にして、
国家の大を為すに足らざる小人なり。使用上の注意すべき男なり」
なんだか、ピッタンコって感じ。

悪魔的作戦参謀辻政信

生出寿 〈光人社NF文庫〉

  目次
第一部
 奇襲電撃作戦
 機略縦横
 最前線の一匹狼
 英軍最後の部隊
 真の勝利
 悪魔の仕業
第二部
 東條と辻と
 功名に走る男
 奇怪なる事実
 杜撰なる敵情判断
 賭け勝負の思想
 責任転嫁
第三部
 東奔西走
 参謀本部への栄転
 近衛首相爆殺計画
 滅亡への道
 惨憺たる結末
 参謀の資質
 全滅の責任
 時代の寵児
  文庫版のあとがき

陸軍の参謀といえど、参謀には指揮権はありません。
ただし、ややこしいのは、派遣参謀。
派遣されてきた参謀は、その前線の上部組織から来ますから、
だからといって指揮権があるわけではないんですが、
辻はやったんです。
ノモンハンで作戦主任の服部卓四郎の下、いろいろやらかしました。
その辻が、山下奉文さんの第25軍の作戦主任参謀となります。
参謀本部作戦課長であった服部が、
課の戦力班長であった辻を推薦しました。
山下さんのような戦略家で勇猛な指揮官に、
辻をくっつけたら鬼に金棒だろう。と、
一部長も次長も参謀総長の杉山元までが適切と判断し、
陸相の東條さんが賛成して実現したものです。
朝枝繁春さんは、ノモンハンのときの
辻の立場で、辻の下につきます。

辻が第25軍にやってきたのは山下さんよりも前です。
司令官は飯田祥二朗中将。
小澤治三郎さんと仲のいい陸軍将官です。
人柄の優しい人で、参謀たちがダラけてました。
その様子を見て辻が意見具申するんですね。
ダラけ具合がどんなものかといいますと、
「日本の将校さんたちは、女郎屋へ通うのに、
 堂々と軍の車に乗り、入り口に番兵を張り番に立たせている。
 フランスの将校も女郎屋へ行かないこともないが、
 平服で、人目を忍んでいく。これでは日本は負けるにちがいない」
ハノイの現地人のメイドの言葉です。
「ぜひとも司令部の軍紀を粛清すべきである」
こういうこと言う人です。
満州でもやってます。
今村均さんが関東軍参謀副長をしていたころ
今村さんに直談判しています。
「公費での飲食は禁止すべき」
上の人間は、こう言ってもらうとやり易いですよね。
そんなわけで、敵もつくるんですが、
急速に上司に近づきます。

しかし山下さんなんかには、すぐにバレちゃう。

後ろにいるときだけ威勢のいいヤツっていますけど、
辻は、それとは違います。
やるときはやります。

たとえばコタバル上陸。
このアイディアを実現させるために
辻は自ら偵察に出かけています。
開戦前の神無月です。
「明日、南部タイと北部マレーを飛んでみたいが、やれるか」
「はい、飛びます。参謀殿がいかれるなら、わたくしが操縦します」
「そりゃあ、ありがたい。じゃあ、日の丸を塗りつぶしておいてくれ」
「わかりました」
無断で他国の上空を飛ぶわけですから、
発見されれば戦闘機がやってきます。
戦闘機に追われれば、まず生きて帰れない。
二つ返事のこの偵察将校も立派ですが、
辻は弾雨を恐れる参謀ではありませんでした。

シンガポールが落ちると、辻は参謀本部に復帰し、
待望の作戦課作戦班長に就任します。
そして班長補佐の瀬島龍三を随えマニラに飛びます。

辻は勝手に捕虜を殺せって軍命令を出します。
141連隊の今井武夫連隊長や、
第10独立守備隊の神保信彦高級副官などは、
本間雅晴軍司令官がこんな命令を出すわけがない。と、
確認につとめ、
142連隊の藤田相吉連隊副官は
「わたくしを軍法会議にかけてください」と、
ガンとして拒絶しています。

辻は、どこに行ってもこういう勝手な命令を出すんです。

辻政信、のちには国会議員になっています。
讃えられるべき功績もあったのでしょうが、
こういう品位のない人間を、重い仕事に就かせてはいけませんね。

悪魔的作戦参謀辻政信


参謀本部の暴れ者陸軍参謀朝枝繁春

この朝枝さんっていう人は、シベリアに連れていかれてますから
「洗脳された人間」みたいな烙印を押す人もいるようです。
ただ、この本を読む限り、ボクはこの人を評価したい。

開戦前に「農林技師藤井猛」としてタイに乗り込んでいます。
タイのホテルに着いた翌朝にはバンコクの移民局から
出頭するように連絡が入っているという、状況で、
納得いくような調査はできなかったわけですが、
山下奉文さんの第25軍の参謀として開戦を迎えます。

参謀本部の暴れ者陸軍参謀朝枝繁春

三根生久大 〈文藝春秋〉

貧苦の中から
陸軍士官学校
市ヶ谷台の無法松
青年将校の義憤
区隊長から陸大へ
辻政信との出会い
マレー上陸作戦
大本営作戦課
痛恨の対ソ戦略
満州隠密行
無法松の「シベリア証言」
  あとがきに代えて
 参考文献

朝枝繁春さんの父親は、膝から下がなく、両手の指がありませんでした。
日露戦争で勇戦敢闘した生き残りなんですが、
手足を失ったのは、除隊後に凍傷にかかって切断したためです。
そのため、戦傷ではありませんので食っていけるほどの恩給は出ません。
繁春は、母親を助けるため小学生の時から働、き弟たちの面倒を見ました。

おそらく現代人が想像する貧苦などとは桁が違います。
その中で学校は一日も休まず、成績は超優秀でした。

海軍にダブる人がいます。高木惣吉さん。
海軍大臣の命を承けて、終戦工作に奔走した人です。
高木さんのお父さんは、やけ酒の飲み過ぎで身体を壊し、
過程が貧困に陥り、惣吉自身は勉強が好きで
高等教育を受けたいがために、海軍兵学校を受験しました。
この受験までもかなり苦労されています。
高木さんは、過労から体を壊してしまいましたが、
朝枝さんは体が強く、弾雨の下で作戦をめぐらすことのできる参謀となりました。

山下さんの第25軍は、通常であれば主力部隊である
第五師団が上陸作戦をせいこうさせたあとに、
上陸を開始するものですが、軍司令部の幕僚は
第一梯団に在って上陸作戦の陣頭に立つことにしました。
こういうことって大きいんですよね。特に初戦ですから。
そして「戦死後開封のこと」と断りを入れた遺言状を
軍司令官以下がそれぞれの家族にあてて書いたものを、
保管依頼状ととも南方総軍に送っています。

朝枝さんはパタニ上陸の安藤支隊に派遣参謀として在りました。
パタニは農林技師藤井猛として偵察した浜で、
上陸に最適と判断した場所でした。
最適のはずでした。
ところが、朝枝さんが偵察に訪れたときは満潮時で、
作戦時は干潮です。
バンコクに入った当初からつけられていたこともあり、
主力部隊の上陸地点であるシンゴラに比べ身の危険の方に神経がいってしまっていたようです。
「あの時、もし、タイの軍隊から攻撃を受けていたら・・・
 今でもその時の光景が夢の中に出てくるんですよ」
戦後、朝枝さんは三根生さんに語っています。

シンガポールを陥落させた後は、
関東軍の参謀となり、のちに大本営参謀となります。
そして、山下さんがフィリピンで第14方面軍司令官として
レイテ決戦に臨んだ時は、派遣参謀として仕え、
内々でアメリカとの講和を探りますが、
そのことがバレて大本営に呼び戻されます。
そして、本業である対ソ研究に励むわけですが、
ソ連軍が不法侵攻を始めたため、
関東軍に作戦命令を徹底させるために
朝枝さんが派遣されるこことなり、
そのままシベリア抑留となるわけです。

参謀本部の暴れ者陸軍参謀朝枝繁春

陸戦史集2マレー作戦

この本は少し毛並みの違う本です。
編者は陸戦史研究普及会。その所在地は市ヶ谷駐とん地。
駐屯地じゃなくて「駐とん地」なんですね。
ボクは自衛隊で通信科にいましたからよく電報を見ました。
駐とん地なんですよ。なんでだろう?

自衛隊の中の研究会なんですね。
序は陸上自衛隊の幹部学校の校長さんが書いてます。
「戦史は戦術原則の母であり、部隊訓練の準拠、
 武人修養の経典でもある。昔から心ある武人は深く戦史を研究し、
 これによって戦場の実相を感得し、
 死生の巷にあって武将としていかにあるべきかの姿勢を求め、
 あるいは用兵の要諦を窮地することに努めた」

マレー作戦

編集/陸戦史研究普及会 〈原書房〉

  目次

陸戦史集の刊行について
はしがき
第一章 作戦の起こりとマレーの兵要地誌
  一 作戦の起こり
  二 兵要地誌
第二章 作戦準備
 第一節 日本軍の作戦準備
  一 作戦準備全般について
  二 兵要地誌・地図の整備と情報の収集
  三 研究と訓練
  四 マレー作戦部隊の編成
  五 進攻基地の確保
  六 作戦計画と現地陸・海軍の協定
  七 作戦発起態勢の完整
 第二節 英軍の作戦準備
  一 全般準備について
  二 マタドール計画
  三 英軍の配備
  四 編制・装備、訓練等
第三章 上陸作戦
 第一節 上陸地点への前進
 第二節 コタバル上陸戦闘
  一 戦闘前に知りえた状況と地形
  二 交戦後判明した状況と地形
  三 日本軍の兵力・編組等
  四 侘美支隊の作戦計画
  五 戦闘経過
  六 戦果と損害
 第三節 シンゴラ、パタニー上陸
  一 第五師団の作戦計画の概要
  二 第五師団の上陸計画の骨子
  三 シンゴラ上陸
  四 パタニー、タペ—上陸
 第四節 上陸当初における軍全般の状況
 第五節 陸・海軍航空部隊の活躍
  一 英極東艦隊主力の潰滅
  二 陸軍航空部隊の活躍
 第六節 英軍の行動
第四章 ジョホール水道への進撃
 第一節 ペクラ橋梁への突進
  一 第五師団主力の作戦
  二 安藤支隊の戦闘
  三 作戦初期の兵站と鉄道部隊の活躍
  四 第三飛行集団の戦闘
  五 南方軍の作戦構想と第二五軍の指導
  六 第二五軍作戦計画の修正
  七 近衛師団のマレー戦線への転進
 第二節 カンタンとクワラルンプルの占領
  一 侘美支隊のカンタン占領
  二 軍の追撃命令とペクラ河の渡河
  三 カンパルの戦闘と渡辺支隊の海上起動
  四 スリムの戦闘
  五 工兵、銀輪部隊の活躍
  六 クワラルンプルの占領
  七 Q・S作戦の中止
  八 エンドウに対する航空用燃料の揚陸
  九 作戦中期の兵站の概要と南方軍鉄道隊の編成
 第三節 ジョホール水道への突進
  一 ゲマスの戦闘
  二 バクリの戦闘
  三 ジョホール水道への進出
 第四節 藤原機関の活躍
 第五節 マレー半島作戦の戦果と補給
第五章 シンガポールの攻略
 第一節 攻略準備
  一 シンガポールの概要
  二 第二五軍の攻略計画策定の経緯
  三 攻略計画策定のための研究と準備
  四 第二五軍の地得した状況と地形
  五 第二五軍の攻略作戦計画と攻撃命令の下達
  六 各師団の攻撃準備
  七 シンガポール航空撃滅戦
  八 英軍のシンガポール島防衛準備
 第二節 攻略実施
  一 攻撃準備射撃とウビン島の占領
  二 各師団のジョホール水道渡過
  三 テンガー飛行場の占領
  四 近衛師団のマンダイ山の占領
  五 要衝ブキテマ高地の占領
  六 降伏勧告
  七 英軍最後の抵抗
  八 英軍の降伏と山下・パーシバル両将軍の会見
  九 英軍降伏後の処理
付図第一 マレー半島略図
付図第二 インドシナ半島と海上機動図
付図第三 マレー半島の英陸・空軍配置図
付図第四 第二五軍マレー作戦経過要図(別添)
付図第五 コタバル上陸戦闘および飛行場の占領図
付図第六 ジットラ付近戦闘経過要図
付図第七 スリムの戦闘経過要図
付図第八 カンタン攻撃戦闘経過要図
付図第九 バクリ、パリットスロン付近戦闘経過要図
付図第十 シンガポール島攻略作戦・戦闘経過要図(別添)
付図十一 シンガポール島英軍配備要図
附表第一 第二十五軍、第三飛行集団等戦闘序列
附表第二 マレー作戦部隊主要職員録
附表第三 近衛師団編制表
附表第四 第五師団編制表
附表第五 第十八師団編成表
附表第六 作戦前における日・英両国軍人員装備概数表
附表第七 主要兵器、航空機諸元概要
附表第八 戦果および損害
 主要参考文献資料



マレー作戦といえば、コタバル上陸です。
これは小澤治三郎長官の決断。
ヘンテコな話なんですが、現地司令官である小澤さんが決めました。
小沢さんの上には第二艦隊(南方部隊指揮官近藤信竹)があり、
その上には連合艦隊(山本五十六)があり、
その上には陸・海の参謀部が合わさった大本営があるのです。
それが、小澤さんに一任されたんです。
海軍軍令部は危険が多いということで反対。
近藤さんも反対。五十六さんは、
おそらくやった方がいいという思いを持っていたんだけど、
ここで言っても難しい。と、「小澤がいいようにするでしょう」
こう言って、現地の第25軍司令官の山下と小沢で決めたらいい。
そんな流れになったんです。
軍令部は三代一就さんを派遣します。
陸軍は軍令部の意向を知っていますからピリピリしてる。
ここで小澤さんはこう言います。
「コタバルには第25軍の考え通り上陸作戦を実行されたい。
 私は全滅を賭しても責任完遂に邁進する」
この時の様子を、第25軍参謀副長であった馬奈木敬信さんは
このように述懐しています。
「その刹那、全議場は粛として声なく、
 むしろ快哉を叫び得ない感激の光景をていし」ていた。

小澤さんは、陸軍がそんなにいうのなら。と、
仕方なしに決行したわけではありません。
必要な作戦であり、かつまた勝算ありとみたためです。

シンゴラなどタイ側に上陸した主力部隊は第五師団ですが、
コタバルに上陸した侘美支隊は、あまりいいことを言われない、
あの牟田口廉也の18師団です。
侘美浩さんは旅団長で、56連隊を率いて上陸します。
牟田口自身は置いてけぼりをくった形で、
第五師団が快進撃をしているものだから自分も参加したくてしょうがない。
それを察した第25軍の参謀が、
侘美支隊の前方に18師団を上陸させようと言い出したんです。
山下さんの上の南方総軍まで乗り気になったんですが、
小澤さんは、これを止めさせています。
作戦が予想以上に順調に進んでいるのに、
わざわざ危険な地区(シンガポールのすぐ近く)に
上陸を急ぐことはないだろ、と。

どうしても小澤さんの話が多くなっちゃうんですが、
この本、陸上自衛隊の本なんでこのへんで辞めますね。

とにかく、このマレー作戦は快進撃と言っていい。
上陸地点から、シンガポールの手前ジョホールまで1100キロ。
これを55日間で駆け抜けちっゃたんです。
これ、日本の地理でいったら
九十九里浜に上陸して小倉に攻め込むくらいのことらしい。
ボクは、東京から長崎まで歩いたことがありますけど、
確かにのんびり歩いてますけど、40日かかっています。
このときの第25軍は、敵と戦いつつ、
壊された橋を直しつつ、突き進んでの55日です。
いや、ホント、頭が下がります。

陸戦史集2 マレー作戦