井上成美

阿川弘之著 新潮社
この本、目次がないんです。

表紙などにフリガナはないんですが、
これなんていうんだろう、最後のところ
著者や発行者、発行所とかが書いてあるところ
ここの題名には「いのうえせいび」ってふりがながあります。
変わった人ね、阿川さん。

本文には、第何章って記述はあります。
ありますが、題名はないです。
そんなわけで、差し出がましいのは重々承知の上で、
各章の紹介もかねて、
ボクが題名なような紹介文を書くことにします。

序章 (8項)
主に海兵37期の同期生を通した井上成美の評判です。

第一章 (10項)
軍事参議官時の副官金谷善文大尉の紹介から、井上英語塾開校まで。

第二章 (10項)
米国戦略爆撃調査団から、杉田主馬の紹介、
海大教官、軍務局第一課長。

第三章 (9項)
ミスター井上の英語塾、山崎晃の紹介から、
米内光政の死、娘靜子の死、そして孫。

第四章 (12項)
「比叡」艦長時代、今川福男大尉と花岡雄二大尉、
そして、大井篤と海大34期の海兵51期組。
横須賀鎮守府参謀長、二・二六事件。

第五章 (9項)
一系問題、そして、米内光政海軍大臣、
山本五十六海軍次官、井上成美軍務局長で三国同盟に反対。

第六章 (9項)
「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じ」
平沼内閣の総辞職から、支那方面艦隊参謀長。
須賀彦次郎少将のこと。

第七章 (9項)
海軍三国同盟承認、航空本部長へ。
中山定義少佐と扇一登中佐。
『新軍備計画論』一系問題に取り組む高田利種。
臨時局部長会報と司令長官への説明会。

第八章 (12項)
第四艦隊司令長官、近衛内閣総辞職。
土肥一夫少佐の焦燥。作戦打ち合わせ会議。
開戦。ポートモレスビー攻略計画、珊瑚海海戦。
松田夫婦、新宮一司の話。「小松」トラック支店。
ガダルカナルの攻防。海軍兵学校校長へ。

第九章 (10項)
山上実機関参謀、「東京タイムズ」記事を見るから、
井上塾生たちの話。今川福雄との貧窮問答から、吐血。そして再婚。

第十章 (9項)
飯田秀雄参謀を随え、海軍兵学校へ。各改革。
企画課長小田切政徳。
予備学生教官。賀陽宮治憲王への訓示。

第十一章 (8項)
教育者井上。森浩主計中尉から帯刀与志夫主計中尉へ。
嶋田海軍大臣兼軍令部総長。

第十二章 (8項)
東條内閣総辞職。米内大臣、井上次官。
軍令部出仕兼海軍大学校研究部員次官承認服務、高木惣吉。
兵備局二課長浜田祐生。倉橋友二郎少佐。調査課中山定義中佐。

第十三章 (10項)
陸海軍統合案。鈴木貫太郎内閣。米内海軍大臣続投。
ドイツ降伏。大将昇進、軍事参議官へ。
水交社、井上・高木・中山。ポツダム対日宣言。
原子爆弾。情報参謀中島親孝の発言。終戦。

終章 (10項)
喜寿の祝い。幹部学校長中山海将補、高木惣吉連続講義。
富士子夫人。孫、丸田研一の訪問。古鷹ビル、深田秀明・岩田友男。
海上自衛隊幹部学校長石塚栄。防衛大学校長猪木正道。豊田譲。

井上成美

井上成美のすべて

執筆者は、半藤一利、野村実、千早正隆、
大井篤、深田秀明、妹尾作太男、生出寿。

半藤さんと言えば、ボクには長老のイメージだけど、
この中に入っちゃうと小僧ですよね。
他はみんな海軍兵学校出てるから、
半藤さんの年は、戦争に駆り出されない世代の年長かな。

野村実(71期)、防衛庁の戦史室戦史編纂官をしてらして、かなり多くの海軍に関する著作のある方です。現役時に、小沢治三郎さんとも直接会話を交わした最後の世代くらいになるんじゃなかろうか。

千早正隆(58期)、終戦時は連合艦隊参謀。小澤さんの参謀です。GHQの戦史室調査員になったことなどから、『トラトラトラ』を訳したりしてます。千早猛彦さんのお兄さん。

大井篤(51期)、このクラスは終戦時は大佐ですから、司令や課長など重い役職についています。大井さんは海上護衛総司令部立ち上げ時からの作戦参謀。高松宮様の日記が発見されて、妃殿下から委嘱を受けて整理閲読にあたったのが、この大井さんと同期の豊田隈雄さんでした。

深田秀明(73期)、井上さんが送り出した最後の卒業生クラス。井上成美伝記刊行会の代表。

妹尾作太男(74期)、この期は井上さんが校長になって最初に迎え入れたクラスです。ということは、井上さんの同期である前校長草鹿任一さんとは、現役時は縁がなかったはずですが、草鹿さんの晩年は縁が深かったようで、草鹿さんの伝記刊行会の幹事をされています。

生出寿(74期)、妹尾さんと同期。
妹尾さんも本を書いたり訳したりしていますが、生出さんは完全に作家ですね。ボクの海軍軍人へのとっかかりは、この生出さんでした。

井上成美のすべて

〈新人物往来社〉

  目次
井上成美アルバム
昭和海軍のなかの井上成美
            半藤一利
珊瑚海海戦は果たして失敗だったか
            野村実
情報・戦略に見る井上成美
            千早正隆
昭和海軍の軍政と井上成美
            大井篤
教育家としての井上成美
            深田秀明
アメリカ海軍が見た井上成美
            妹尾作太男
井上成美エピソード抄
            生出寿
井上成美略年譜
執筆者略歴

野村実さんが珊瑚海海戦を解説してくれています。
従来、井上は戦が下手だ。と、
さんざんな言われ方をしていますが、
情状酌量の余地あり、と言ってますね。

野村さんの意見は本を読んでいただくことにして、
井上成美の遺言:海軍兵学校第37期編〈中〉
で触れたこともあることですし、
ここは、ボクが弁護側として訴えることにします。
珊瑚海海戦の現場指揮官は高木武雄さんで、
航空戦の指揮に関しては第五航空戦隊司令官の原忠一さんでした。
そして、もうひとつ参加した部隊があります。
山田定義さんの第25航空戦隊で、
この部隊は井上さんの指揮下に入らず、
もともとの上司、第11航空艦隊司令長官の
塚原二四三さんの指揮下のままです。


さらに、井上さんの第四艦隊の参謀をしていた
土肥一夫さんが海軍反省会でこういう証言をしています。
「あの作戦は、まったく事前の打ち合わせができていなかった」
実際原さんの部隊がトラックに来たのは卯月の25日、
皐月の1日には出撃しています。
土肥さんの言葉を借りれば、
「参謀が飛行機で駆けつけて打ち合わせただけで」
図演などもやってないわけで、即席の寄せ集めなんです。


作戦が始まってからも、
井上さんが、連合軍側の基地航空部隊を
たたくことを強く求めますがゴネます。
そのやり取りを聞いてた連合艦隊の方が、
ミッドウェーのことがありますから、
それまでは航空機を温存しておきたくて、口をはさんできます。
戦闘に入ってからも、敵部隊を2つ発見して、
井上さんが西の部隊へ行けって言ってんのに現場が従ってません。
山田さんにも要請はしてますけど、指揮権がないから、
命令は出せず、サボられています。


そして、問題の「北上せよ」ですが、
土肥さんが言います。
「味方の飛行機が返ってきて着艦が始まったとき」
土肥さんは総攻撃の命令を書いて
井上さんのところに持っていったそうです。
「君、これ間に合うかい」
こう言われたというんですね。
土肥さんとしては状況は分かりませんが
行くしかないと思ってますから、
「間に合います」って言うわけです。
井上さんはサインをくれたそうで、
それを暗号室に持って行ったんだけど、
5分もしたら暗号室から、
原さんから「北上す」って電報が来た。と、
時間を見ると30分前に発令してる。
その時間を考えると相当北にもう行ってる。
それで、井上さんは「北上よろしい」という意味で、
「攻撃を止め、北上せよ」という電報を打ったというんです。


前線指揮官として、井上さんが向いていなかった。
これは、ある程度言えると思います。
井上さんは、軍政一筋みたいな海軍生活をしてきました。
小澤さんのように中佐時代から先任参謀として
戦隊の指揮を切り盛りしてきたような人だったら、
違う結果もあったでしょう。
さらに、このときの四艦隊の参謀も、
参謀長、先任参謀が共に優秀な能史型
の人だったそうです。

別の点でいいますと、
この時点で海軍の暗号は取られています。
そして、それまでの日本海軍が築き上げた戦歴
(真珠湾奇襲やマレー沖海戦)とは違い、
敵は準備を整えて臨んできていたという点。
中央は、この点を抜きにして、批判しているように思えます。

野村さんは総括でこう言っています。
戦術的な失敗の責任は、高木、原、山田にあり、
戦略的には塚原を指揮できる立場にあった山本に大半がある。


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