捨身提督小澤治三郎

ミッドウェー海戦のとき、
連合艦隊司令部より真剣に戦況を注視していた人がいました。
南遣艦隊司令長官であった小澤治三郎さんです。
第一航空艦隊ができたとき、
司令長官は南雲さんよりも小沢さんがなるほうが自然であった。
そんな見方をする人が多いんです。
ジツは、航空艦隊(または機動艦隊)を作るべき
と提案したのは、この小澤さんだったんです。
しかし、日本海軍の人事は年功序列でいきました。
南雲さんも小澤さんも水雷で、南雲さんが一期先輩です。

小澤さんは南遣艦隊司令長官として、
陸軍のマレー作戦に多大な貢献をしました。
陸軍ではシンゴラ、パタニー(共にタイ)と同時に
コタバル上陸作戦もやりたかったのですが、
これには護衛すべき海軍が反対したのです。
コタバルは英領マレーであり、
有力な飛行場があるため危険が多すぎるというものです。
しかし、攻める側の陸軍からすれば、
この飛行場が敵の管理下にあったのでは、
タイ上陸後の進撃がはかどりません。
中央の話し合いでは結論が出ず、
連合艦隊司令長官として参加した五十六さんが、
「現地の小澤がうまくやると思うんで・・・」
そんなわけで、現地司令官同士が話し合って決める。
という事になりました。
海軍中央は反対でしたが、
五十六さんは反対ではなかったのではないか。
でも、よくわからないし、小澤に任せとけば安心だ。
そんな感覚だったんじゃないでしょうか。
五十六さんは、「作戦は落第」の人ですから。

五十六さんは、軍政のほかは航空関係の仕事が多かったんですが、
部隊の長ではなく、教育や航空行政です。
それで連合艦隊司令長官になっちゃったもんだから、
参謀長も経験し、駆逐隊司令や戦隊司令官を歴任した
小澤さんに頼ることが多かったんですよね。

小澤さんは、コタバル上陸について考え、
これはやるべき。と判断し、できるか。を考え、
陸軍の25軍司令官、山下さんに対してこういいます。
「コタバルには第25軍の考え通り上陸作戦を実行されたい。
 私は全滅を賭しても責任完遂に邁進する」
こんなことがあったので、
陸軍の人は小澤さんのことをひどく尊敬しています。

では、小澤さんは陸軍との協調のために
何でも聞いたのかというとそうではありませんでした。
小澤さんにしてみれば、
コタバル上陸は勝算あってのことなんです。
戦闘が進み、さらに先に陸兵を送りたいので
護衛してほしいという注文がきたときは、
それは危険を冒してまでやる作戦ではない。と、
陸軍を説得しています。
陸軍に、このような交渉ができた海軍の人は、
他にはいなかったんじゃないでしょうか。

そんな小澤さんが、ミットウェー海戦のときは
南方の作戦が一段落し、やることがありません。
小澤さんの参謀などを務めた寺崎隆治さんの言葉をかりれば、
「飯より戦の好きな小澤さんは」
ミッドウェーの状況を無線で聞き、
戦況を地図に書き込むなどして過ごしました。
そして、こう言ったのです。
「これは、暗号が取られているぞ」
米軍の攻撃が、非常に計画的だというんですね。
その後軍令部の山本祐二さんが出張してきたんで、
小澤さんは調査を依頼しています。
「そういう心配は全くありません」
これが軍令部側の答えですが、
このときに認識を変えていれば、
山本五十六さんは暗殺されることはなかったはずです。
中央は今のヤクニンみたいな仕事ぶりだったんだと思います。

捨身提督小澤治三郎

生出寿 〈徳間書店〉

目次
まえがき
国運を担う南遣艦隊司令長官
全滅を賭したコタバル上陸作戦
開戦まえに英軍機撃墜
正解のマレー沖海戦
陸軍の山下奉文、今村均を支援
海軍の諸葛孔明を志す
水雷艇長で船乗り修行
水雷学校、海軍大学校の戦術教官
酒豪提督、「辺幅を飾らず」
永野長官と小沢参謀長の対決
山本五十六と「航空主兵」て一致
兵力激減の機動艦隊を率いる
“鬼がわら”の号泣
アメリカ主力機動部隊撃滅の戦法
敵にわたった軍機作戦計画書
飛べない空母飛行機隊
ニミッツの大謀略
無力化された陸上飛行機隊
攻める小澤、守るスプルーアンス
自分は死に場所をなくした
敵と耦刺を期す
源田実の「戦闘機無用論」
まじめに戦ったのは西村ひとり
ハルゼー艦隊を釣り上げる
大和の沖縄特攻は自分に責任あり
戦やめるらしいぞ
あとがき
参考・引用文献

捨身提督の「捨身」は、おそらくレイテ沖海戦での
ハルゼーを北方に釣り上げるためのオトリ作戦のことでしょう。
このときの小澤さんの任務遂行は、
アメリカ側の軍人、研究家から高く評価されています。

その小澤さんが評価したのは西村さんでした。
「レイテで本当に真剣に戦ったのは西村だけだった」
アメリカ側では非常に評価が低いです。
途中で引返した志摩さんの方がいい評価をされています。
この辺の考え方が、アメリカ的だと思う。
ただし、日本文化を深く理解したアメリカの研究者は、
西村司令官の行動を愚かとは言っていません。

レイテ沖海戦で、最大のポイントは、
栗田さんが引き返したことです。
でも、アメリカ側の評価では、
栗田さんは満場一致で否定されてはいません。
アメリカで、満点で非難されているのは、
豊田副武(連合艦隊司令長官)と、ハルゼーです。
そして、満点で高評価を得ているのが、
オトリ艦隊を指揮した小澤さんと
西村艦隊を壊滅させたオルデンドルフです。

第一航空艦隊ができたとき
南雲さんでなくて小澤さんなら、
という声は当時からあったようですが、
ボクは、小澤さん以外で、コタバル上陸作戦を
決意できた提督はいないと思っています。
このときの判断も、フリーではないんです。
海軍中央は、中央の考えを伝えるために
軍令部の航空担当の三代さんを派遣しています。
小澤さんは、それをはねのけて「やりましょう」と言ったんです。
これが言える人は、いなかったと思います。

真珠湾攻撃の功績を以て南雲さんをどこかに栄転させて
ミッドウェーを小澤さんで戦っていたら、
おもしろいことになっていたでしょうね。
こんなこと言っても詮無いんだけど、
小澤さんは、戦力をもぎ取られては戦わされたから、
充実した状態で一戦交えたかっただろうな。と、
なんか、その辺がボクにこれを訴えさせるんです。

捨身提督小澤治三郎

井上成美の遺言(海軍兵学校第37期編〈中〉)

  目次
イントロダクション
海軍兵学校第三十七期編〈中〉
 バタビヤ上陸
 ジャワ攻略
 今村軍政(前)
 サンゴ海海戦
 今村軍政(後)
 ガダルカナル撤退
 命令一下、出で発つは
 消耗戦から籠城戦へ
 海軍乙事件
 マリアナ海戦
あとがき
 状況判断
 統帥乱れて
参考文献


・・・山下将軍(陸一八期)は猛将などと言われます。二二六事件を起こした青年将校に対して同情的な態度をとったため、中途半端に干された形になっていましたが、いざ開戦となり最重要地区と判断されたマレー作戦の司令官におされたほどの人です。マレーの進撃、シンガポールの早期降伏は山下将軍の力量に大きくうながされたものと思います。・・・山下将軍といえば「イエスかノーか!」ですね。

日本側は全軍の即時武装解除を要求していた。パーシバルは内容を一読し、しばらくしてこう言う。
「シンガポール市中は混乱している。非戦闘員もいるので一〇〇〇名の武装兵を残置することにしてもらいたい」
「日本軍が進駐して治安を維持するから心配はいらない」
「英軍はシンガポールの事情をよく知っているので一〇〇〇名の武装兵を保持したい」
「日本軍がやるので安心されるがよい」
「市内では略奪が起こる。非戦闘員もいることだから・・・」
いつまでもウダウダと続けるパーシバルですが、山下からしたら話がつかなければ攻撃は続行せざるを得ず、さらなる犠牲者を出したくないのだ。山下は作戦課長の池谷に確認する。
「夜襲する時刻は?」
「二〇時の予定です」
パーシバル「夜襲は困る」
山下「いったい英軍は降伏するつもりかどうか?」
 間をおいてパーシバル。
「停戦することにしたい」
ここで山下が杉田に向かって放った言葉がこれである。
「夜襲の時刻が迫っているから、英軍に降伏するのかどうか『イエス』か『ノー』かで返事してもらえ」
パーシバル「イエス。一〇〇〇名の武装を認めてもらいたい」
「それはよろしい」
 山下はあっさり答えたという。
 西洋人であるパーシバルは、自分の意見を述べ、細部まで相互に諒解したうえで降伏文書にサインしたい。日本人である山下は、まず降伏の諾否を決定し、細部の事務手続きなどは後回しでいい。死力を尽くして戦った相手が白旗をあげたのだ、わるいようには決してしない。このような感性は西洋人には通用しないのであろうが、とにかく、杉田の言うように、「現地の報道陣が大げさに山下の威容を報道し、戦勝に酔った点があった」のであろう。

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