航空作戦参謀源田実

山本五十六さんは、真珠湾奇襲をしたくて
大西さんに手紙を書きます。
「開戦劈頭、わが第一、第二航空戦隊飛行機隊の全力をもって痛撃し、当分のあいだ米国艦隊の西太平洋侵攻を不可能とする必要がある。目標は米戦艦群であり、攻撃は雷撃隊による片道攻撃とする。本作戦は容易なことではないが、本職はみずからこの空襲部隊の指揮官となり、作戦遂行に全力を尽くす決意である。ついてはこの作戦をいかなる方法によって実施すればよいか、研究してもらいたい」
大西さんは、源田実を「相談したいことがある」と言って呼びつけると、この手紙を読ませました。

源田って人は、こういうの、好きなんですよ。
周りをアッと言わせるようなことね。
このときは第一航空戦隊参謀で、中佐です。

源田は素案を大西さんに提出し、
大西さんがまとめ上げて五十六さんに渡します。
ボクの想像ですが、
真珠湾攻撃のひな型はこのときにできてて、
黒島ってのちに特攻兵器ばかり考えてた先任参謀は、
これと言った独創性を付加したようなことはないんじゃないか。
そんなふうに思いますね。
こう考えたとき、源田には独創性はあったと言えるのではないか。

ただし、こんなことを同期の淵田さんに洩らしているんです。
「オレの案がスイスイ通ってしまう。このことが非常に怖い」
第一航空艦隊ができた時、源田は航空参謀になります。
長官は南雲忠一。
参謀長は草鹿龍之介。
先任参謀は大石保。
南雲さんは水雷、大石さんは航海。
草鹿龍之介は飛行機乗りではないんだけど、
周辺の勤務が多く、一応航空に明るいってことになってましたが、
下の意見を取り上げるってタイプの人で、
源田の意見がそのまま通るわけです。
「源田艦隊」なんて言われてたらしいですね。
中佐が艦隊を動かしちゃいけません。
本来であれば、中佐の判断と中将の判断とでは、
その深み重みが違うはずなんです。
源田という人はよく言えばチョープラス思考の人で、
思考的姿勢は頼もしいんですが、
最悪を想定した行き届いた作戦を考えるような
そういう幅には乏しかったんじゃないかと思います。
こういう点でいうと、
淵田さんの方が実務者タイプだったのではないかと思います。
その淵田さんを攻撃隊の総指揮官に、と
引っ張ってきたのは源田ですから、
自分の足りないところを
ある程度知っていたんじゃないかとも思えますね。

ミッドウェーでは惜しいことをしました。
ただでさえチョープラス思考なところに、熱を出してて、
細部にわたって目をやるってことができなかったように思います。
そして、頼みの綱である淵田さんは、
盲腸の手術をして寝てました。

源田って人は、自分のところに
いい搭乗員をそろえることに夢中になりましてね。
一期先輩の大井さんが、
「そんなに連れて行ってもらっちゃ困る。
後進育成のために教官にいいのを残しておかなきゃダメだろ」
そう言っても、あんたにゃ頼まない。ってなもんで
上の方にかけ合いに行っちゃうようなところがあるんです。
ボクのいうチョープラス思考っていうのは、
こういう意味を含んだ表現です。

そんな源田実を、
生出寿さんが批判的に書いたのが、この本です。

航空作戦参謀源田実

生出寿 〈徳間文庫〉

  目次
奇想天外
ハワイ奇襲に燃える
理想の名将
無我の境
幻の真珠湾第二撃進言
快勝また快勝
危うしインド洋作戦
乱れる連合艦隊司令部
その名も源田艦隊
東郷・秋山と山本・黒島・源田
摩訶不思議な主力部隊出動
不覚の敵情判断
山口多門の卓見
源田流用兵の破綻
大本営の誇大戦果発表
導師大西瀧治郎
マリアナ基地航空部隊の壊滅
最後の奇策「T攻撃部隊」
 初刊本あとがき
 参考文献
 解説 妹尾作太男

山本さんは、自らが率いて真珠湾攻撃をするつもりでいました。
「いざ開戦になったら、米内さんに復帰を願い、
 (米内さんはこのとき予備役です)
 連合艦隊司令長官になってもらって、
 自分がハワイに攻め込む」と、こんなことを
複数の人に手紙を送ったり言ったりしています。
ちょっとヘンテコな話ですが、事情がありました。
本来でいえば、着任してすでに二年を超えていましたから、
嶋田にでもあとを譲る。なんて思いでいましたが、
「今、山本さんに中央に来られては困る」
というのが、前のめりになってた課長級たちの思いでしたから、
たとえば「海軍大臣を」といったお声はかかりませんでした。

この時期もう一つ、持ち上がっていた話があります。
それまで第一艦隊は連合艦隊司令長官が直卒する。
という事になっていましたが、
第一艦隊司令長官を新たに設けて、
連合艦隊司令部は独立旗艦にしようという話です。
この話に乗じて、米内さんを連合艦隊司令長官に迎え、
自分は第一艦隊司令長官として前線に出る。と、
まぁ、こういう理屈でのハワイ攻撃参戦です。

もし、これが実現して、山本さんが自滅覚悟で
徹底的に真珠湾の基地そのものを壊滅状態にして、
その機を見て、米内さんが和平の話を中央に持ち掛けたところで、
中央が、幕引きを考えてなかったんですから、
どうなるわけでもありませんでした。
このダメージにより、
太平洋側の米海軍が足腰立たない状態になって、
反撃に移るのに何年かかかるようなことになったとしても、
その間に、マリアナ・カロリン諸島のラインで
敵潜水艦の出入りを完全にシャットアウトするぐらいの
シーレーンの確保を真剣に考え、実施しようとする人は
中央の要職にはいませんでしたから、
時期がずれるだけで、悲惨な結果になっていたと思います。

何が言いたいかと言いますと、
和平を真剣に考えたいのであれば、
米内さんは連合艦隊司令長官ではなく、
海軍大臣、せめて軍令部総長のはずです。
それなのに、山本さんは自分が暴れやすいように
直属の上司に米内さんが欲しかっただけなんじゃないか?
ボクは、こんなふうに思っています。

大西さんは、頼まれて真珠湾攻撃の原案を起案しましたが、
開戦間際になって「やめましょうよ」って、
山本さんのところまで出向いています。

大西さんの考えは、
「日本の力でワシントンを攻め落とすことはできない。
 となれば、いいところで講和に持ち込まなきゃならない。
 であるならば、アメリカ国民を刺激するような
 真珠湾攻撃なんてのはやるもんじゃない」
こんな考えでした。が、面と向かってここまでは言えず、
さすがの大西さんも言えなかったんですね。
で、大西さんはこのころ南方の航空部隊の参謀長ですから、
「南方作戦には母艦機を使わないと、戦力的に手薄です。
 ハワイに持っていくのは考え直してもらえませんか」
こんな言い方になっちゃった。
こういうのって「じゃあ、そこんとこ解消できたらオッケーね」
って言われちゃうと、詰んじゃうんですよね。

真珠湾攻撃っていうのは、
二重にも三重にも四重にも
結果的にいうと、やっちゃいけない作戦でした。
違う言い方をすると、
アメリカに、結果を最大限に利用された作戦でした。

でも、戦争ですから、戦闘的には成功は成功で、
帰ってすぐ、山本さんは
「勝って兜の緒を閉めろ!」って、
結構強い口調で言ってるんです。
これを司令官クラスがキチンと受け取っていれば、
おそらく暗号を取られていても、
ミッドウェーは勝っています。
そこを考えると、意識が全く違い過ぎたんだと思います。
当然です。
機動部隊は中佐が動かしていたんですから。
せめて、南雲さんの参謀長が山口さんか大西さんであったなら、
そんなことを考えちゃいますね。

航空作戦参謀源田実






勇断提督山口多門

官僚みたいな軍人ばかりだったのか。。。
こういう残念な思いにみなさんを浸らせる
そんなつもりで、書いているわけではないんです。

まぁ、当然と言えば当然なのかもしれないけど、
勇敢な方々は、より早く命を失っています。

山本五十六さんの暗殺に「GO」を出すとき、
アメリカ海軍でこんな会話があったとかなかったとか。
「もし山本を殺して、もっと優れた指揮官が正面に来たらどうする?」
「それは困る。しかし山口はミッドウェーで死んでるから大丈夫だ」

このような評価を受けていた提督がいたという点。
これはこれで注目すべきですが、
ボクは、このことから、
いかにアメリカが日本を研究し尽くしていたか。
こちらの方に驚きを感じます。
とにかく、アメリカは研究熱心です。
そして研究して、それを必ず実地に生かしますね。
真珠湾攻撃で航空兵力の重要性を知ると、
真珠湾に沈んだ古びた戦艦を見て、
あっ、この動かさなくていいんだから
このベテランたちを空母の方の人員に仕える!
こういうプラス思考をしますね。
ゼロ戦は化け物だな。
そう考えると、無理に戦うな、逃げろ!
なんて平気で指示を出す。
そして、墜ちたゼロ戦拾ってきて
分解しては、一生懸命研究します。

なんか、だんだん山口さんから離れちゃったけど、
そろそろ戻りましょうか。
山口多門さん。海軍兵学校40期です。
同期には山本五十六さんの参謀長で、
『戦藻録』を残した宇垣纒さん。
特攻作戦を最初に指揮した大西瀧治郎さん。
けっこう武人がそろっています。
左近充尚正さんとか、城島高次さんもそうですね。

山口さんは、部下にこのような話をしていました。
「生死いずれかと迷える時は潔く死ね」
武士道ですね。
『葉隠』の一部を渡部昇一さんが現代語に訳しています。
『武士道の本質は死ぬことだと知った。生死二つのうち、どちらを取るかといえば、早く死ぬ方を選ぶ。その覚悟さえあれば、腹を据え、よけいなことは考えずに邁進することができる。「事を成し遂げないうちに死ぬのは犬死だ」などというのは、上方ふうの打算的な武士道にすぎない。二者択一を迫られたとき、「絶体に正しい」という道を選ぶのは難しい。人は誰でも生きる方が好きだから、多かれ少なかれ、生きる方に理屈を付けがちだ。しかし、生きるほうを選んで、失敗に終わってなお生きているとすれば「腰抜け」といわれる。そこがむずかしいところである。ところが、死を選んでいれば、もし失敗して死んだとしても「犬死」といわれるだけで、恥になることはない。ここが、つまりは武士道の本質だ。武士道を極めるためには、朝夕、繰り返して死を覚悟することが必要である。常に死を覚悟しているときは武士道が自分のものとなり、一生誤りなく、主君にご奉公し尽くすことができる』

「繰り返して死を覚悟する」ということは、
大きな決断に出会ってはじめて決断しようっていうと、
これ、ムリです。
ただ、人間って先が見えないかっていうとそうではなくてね。
こうしたら、こういう懸念があるな。とか、
そういうことってわかるんですよね。
ただ、そのときは切羽詰まってないし、
となると、なおざりになりやすい。
常に死を覚悟している状態というのは、
常に切羽詰まった状態として判断し続けるってことだと思います。
これはなおざりにはできなくなります。
分からなければ調べますね。
こういう生き方をしたら相当忙しいと思います。
でも、今騒がれているような
統計不正問題みたいなものはないですよね。
官僚は国に尽くすべき立場ですからね。
こうあらねばならないわけですよ。

また、山口さんから離れちゃったなぁ。

勇断提督山口多門

生出寿 〈徳間書店〉

  目次
まえがき
平々凡々の大物少年
地中海でドイツ潜水艦と戦う
高慢米英に闘志を燃やす
連合艦隊先任参謀の信条
駐米海軍武官の情報活動
軽巡五十鈴艦長と皇族出身士官
戦艦伊勢が立てた金字塔
事故艦長を軍法会議から救う
心服した猛将大西瀧治郎少将
かっぽれ飛龍艦長と恵比寿司令官
ハワイ反復攻撃の進言
択捉島単冠湾で歌う”決死隊”
真珠湾への海路三千五百浬
全機撃突の決意で出撃
一撃だけで引き揚げた禍根
部下をみすみす殺せない
英米屈服の史上最大の作戦計画
ミッドウェーに待ち伏せた米艦隊
現装備のまま発進せよ
米空母ヨークタウンを倒す
猛火の中の勇士たち
艦とともに沈むのが正道
あとがき
参考文献


特攻を最初に指揮した大西さんが、
「山口の下なら喜んで働ける」
と言ったなんて残っていますし、
さらに一期上の闘将角田覚治さん、
山口さんの戦死を聞いた時の言葉として伝わっています。
「山口を機動部隊司令長官にしてあげたかった。
 彼の下でなら、喜んで一武将として戦ったのに」

非常に惜しまれますね。
戦闘で死んだのではなく、司令官として
ミッドウェー敗戦の責任をとって艦とともに沈みました。

ミッドウェー海戦の指揮官は南雲さんです。
空母四隻(「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」)が沈んでいますが、
「赤城」「加賀」は南雲さん直卒、
「蒼龍」「飛龍」が山口さんの担当です。
ジツは南雲さんは責任を取って沈むつもりでいました。
ところが参謀長の草鹿龍之介に引き摺られるようにして艦を降りたんです。
その後も南雲さんは腹を切るつもりでいましたが、
草鹿龍之介に説得されて思いとどまります。
この戦闘で山口さんは「飛龍」に乗っており、
「赤城」「加賀」「蒼龍」が立て続けにやられて、
山口さんの「飛龍」だけが孤軍奮闘したのち沈みました。
南雲さんが山口さんに「託す」と電報を打って沈んでたら、
山口さんは沈むわけにはいかなかったんじゃないかな。と、
ボクはその点を惜しみます。

ミッドウェーは驕りのために負けた海戦で、
海軍乙事件同様、
避けられた被害を被った戦だったと思います。

勇断提督山口多門