マレー沖海戦

この本の著者須藤朔さんは、海兵66期の攻撃機乗りです。
須藤さんの本を読むと、飛行機乗りの中でも
戦闘機や攻撃機、パイロット、偵察員など、
職種によってかなり考え方が違ってくるようで、
航空出身と言っても、参謀になった人の職種によって
作戦に大きな違いが生まれるようです。
読み進んで、突き詰めていくと、職種よりも人間のように思えます。
これは航空作戦に限った話ではないですね。
どれだけ指揮官が、バランスの取れた判断ができるかどうか。
専門であるがために策に溺れるということもありますから。

マレー沖海戦

須藤朔 〈朝日ソノラマ〉

  目次
 プロローグ
 1 イギリス東洋艦隊
 2 不沈戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」
 3 開戦前夜
 4 Z部隊、シンガポールを出撃
 5 出撃命令
  九六式・一式陸上攻撃機について
 6 十二月十日、〇四三五、われ接触を失う
 7 攻撃隊出動
 8 一一四五、敵主力見ゆ
 9 第一撃、水平爆撃
10 雷撃、「プリンス・オブ・ウェールズ」に致命傷
11 雷撃隊、奮戦す
12 突撃せよ!
13 浮沈艦、波間に消ゆ
 エピローグ
 マレー沖海戦の回想
 マレー沖海戦の経過
 参考文献
 戦後に思う

須藤さんのいいところは、
小澤治三郎さんを批判しているところですね。
小澤さんを批判するというのは、
ずいぶん勇気のいることだと思います。

小澤さんは寄せ集めの部隊であった南遣艦隊で
マレー作戦を成功させました。
井上さんの珊瑚海海戦の場合の寄せ集め度はさらにひどく
基地航空部隊に対しては命令が出せませんでした。が、
小澤さんは基地航空部隊も指揮下に入れていました。

そこで、こういう指摘をしています。
フネでなく、陸で指揮するべきであったと。
小澤さんは、旗艦とすべく重巡が欲しいと訴え、
第二艦隊の近藤信竹は、そんなものは陸から指揮したらいいと否定的。
山本五十六さんの鶴の一声で、「鳥海」がやってきます。
その「鳥海」で海上指揮したために、
味方機から攻撃を受け、攻撃停止命令を出すという
余計な結果をまねいた。と、近藤さんの案の方が正しい。
と、まぁ、そういう指摘です。

ただ、近藤さんは、エンダウ・メルシン上陸作戦に反対したときに
あんまり、陸軍ともめるな。という理由で、
やってやったらどうか。なんて言ってますし、
近藤さんの陸の上で、、、、というのは、
戦略的な判断のようには思いにくい。

さて、小澤さんに厳しい評価と言えば、奥宮正武さんがいます。
須藤さんは奥宮さんとは近かったようです。
ここで思うのは、小澤さんは航空艦隊の生みの親、育ての親
のように言われていますが、飛行機乗りではありません。
根っからの飛行機乗りで、同期や後輩を失った人たちから見ると、
ましてや、意見具申する側にあり、それが容れられなかった思いがあれば
厳しい注文が出るのも、当然と言えば当然かもしれません。
奥宮さんがおもしろいことを言っています。
マリアナ沖海戦で、緻密な小澤さんが基地航空部隊を指揮し、
見敵必勝の角田覚治さんの方が機動部隊の指揮官であったら、
かなり違う結果を得られたのではないか。

その上の連合艦隊が、無駄に基地航空部隊を消耗させていますので、
大きく結果が変わっていたかどうかは分かりませんが、
なんとなく、うなずける部分もあります。
小澤さんは智将であり、参謀長の方がよかったんじゃないか。
ボクの中にも、そんな思いがあります。
さて、小澤さんがかつぐほどの司令長官がいたのかどうか。

マレー海戦の方に話を戻しますと、
小澤さんが要請したものが重巡のほかにもう一つあります。
航空部隊です。
当然要請を受け入れたのは山本五十六さんですが、
須藤さんは、その部隊、鹿屋航空隊の三個中隊を引き抜いた
連合艦隊の作戦参謀三和義勇さんを賞讃しています。
この部隊は飛行機も新型、搭乗員の練度も高い精鋭部隊だそうです。
ちなみに、須藤さんはここの中隊長です。

もうひとつ、須藤さんの感覚で大切な部分を挙げておきますと、
わが日本軍は、開戦当初各所で快進撃をしたわけですが、
勝ったことをいいことに、細かいところに目をつぶっているという指摘です。
敵艦を発見した帆足正音予備少尉ですが、
ジツは索敵コースを独断で変更しているんです。
このために敵艦発見が一時間以上遅れています。
また、雲間に艦影を認めた時点で、直ちに「敵らしき艦隊見ゆ」
または「敵味方不明の艦隊見ゆ」を
地点とともに報告すべきであったと指摘しています。
あまりにも偉大な勝利であったために、
これらの過失は問われることなく功績だけがもてはやされた。
戦訓として取り上げられなかったこの種の失敗は、後日の戦闘で、
再三、他の搭乗員によっても繰り返されたとも言っています。

完全に浮かれてましたね。

マレー沖海戦


井上成美の遺言(海軍兵学校第37期編〈上〉)

  目次
イントロダクション
第三十七期編〈上〉
 過ちを改むるに憚ること勿れ
 少尉任官
 陸軍歩兵中隊
 それぞれの萌芽
 満州事変
 『いさお』
 南寧作戦
 第一航空艦隊
 コタバル上陸作戦
 マレー半島上陸
 マレー沖海戦
 敵のおもわく
 島田戦車隊登場
 島田戦車隊さらに突進
 ジョホールバルへ
あとがき
参考文献

 イントロダクション
ボクが井上さんの同期である草鹿任一さんを知ったのは、生出寿さんの本からです。
生出さんは海軍兵学校七四期(以後(七四期)と記す)で、当時兵学校校長であった井上さんの教え子になります。
草鹿さんは井上さんの前の校長で、生出さんは草鹿さんがラバウルに出てからの入校生徒です。草鹿さんは井上さんとは対極的な人、といった登場の仕方で、井上さんが四角四面なら草鹿さんはざっくばらんというか、ボクの印象としては軍人としては砕けすぎた人、かな。といったものでした。・・・草鹿さんが校長に決まったとき、同期からはこう言われたそうです。
「草鹿は兵学校に行儀見習いに行くそうな」
ところが草鹿さんの伝記なんかを読んでみると、もう、ただただすばらしい、唸るほどの方です。経歴を追ってみても教官や、教育機関での勤務が多い。
戦後、井上さんが歴代の大将に等級をつけて批判していたことに、
「井上は、よくない」
 と言った。とありましたが、草鹿さんの人物を知ると、この言葉の重みがずいぶん違ってきます。

・・・そもそも陸軍はドイツに学び、海軍はイギリスに学んでいます。このあたりにも大きな違いがありそうですが、・・・どこの国でも陸軍と海軍は仲が悪かったそうですが、日本の場合は人種が違うような感がある。
・・・小沢さんの葬儀には陸軍の将星が多く参列されたそうです。この一事をもってしても、この人は立派な人だな。そんな思いがボクにはありました。そして草鹿さんの存在を知り、もしかしたらこのふたりは指揮官として優れているだけではなく、人物としても井上さんより上なんじゃないか?そんなことを思うようになり、兵学校三七期の代表として、このお二人のことを書いてみたいな、という思いが募ってきたわけです。

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