参謀本部の暴れ者陸軍参謀朝枝繁春

この朝枝さんっていう人は、シベリアに連れていかれてますから
「洗脳された人間」みたいな烙印を押す人もいるようです。
ただ、この本を読む限り、ボクはこの人を評価したい。

開戦前に「農林技師藤井猛」としてタイに乗り込んでいます。
タイのホテルに着いた翌朝にはバンコクの移民局から
出頭するように連絡が入っているという、状況で、
納得いくような調査はできなかったわけですが、
山下奉文さんの第25軍の参謀として開戦を迎えます。

参謀本部の暴れ者陸軍参謀朝枝繁春

三根生久大 〈文藝春秋〉

貧苦の中から
陸軍士官学校
市ヶ谷台の無法松
青年将校の義憤
区隊長から陸大へ
辻政信との出会い
マレー上陸作戦
大本営作戦課
痛恨の対ソ戦略
満州隠密行
無法松の「シベリア証言」
  あとがきに代えて
 参考文献

朝枝繁春さんの父親は、膝から下がなく、両手の指がありませんでした。
日露戦争で勇戦敢闘した生き残りなんですが、
手足を失ったのは、除隊後に凍傷にかかって切断したためです。
そのため、戦傷ではありませんので食っていけるほどの恩給は出ません。
繁春は、母親を助けるため小学生の時から働、き弟たちの面倒を見ました。

おそらく現代人が想像する貧苦などとは桁が違います。
その中で学校は一日も休まず、成績は超優秀でした。

海軍にダブる人がいます。高木惣吉さん。
海軍大臣の命を承けて、終戦工作に奔走した人です。
高木さんのお父さんは、やけ酒の飲み過ぎで身体を壊し、
過程が貧困に陥り、惣吉自身は勉強が好きで
高等教育を受けたいがために、海軍兵学校を受験しました。
この受験までもかなり苦労されています。
高木さんは、過労から体を壊してしまいましたが、
朝枝さんは体が強く、弾雨の下で作戦をめぐらすことのできる参謀となりました。

山下さんの第25軍は、通常であれば主力部隊である
第五師団が上陸作戦をせいこうさせたあとに、
上陸を開始するものですが、軍司令部の幕僚は
第一梯団に在って上陸作戦の陣頭に立つことにしました。
こういうことって大きいんですよね。特に初戦ですから。
そして「戦死後開封のこと」と断りを入れた遺言状を
軍司令官以下がそれぞれの家族にあてて書いたものを、
保管依頼状ととも南方総軍に送っています。

朝枝さんはパタニ上陸の安藤支隊に派遣参謀として在りました。
パタニは農林技師藤井猛として偵察した浜で、
上陸に最適と判断した場所でした。
最適のはずでした。
ところが、朝枝さんが偵察に訪れたときは満潮時で、
作戦時は干潮です。
バンコクに入った当初からつけられていたこともあり、
主力部隊の上陸地点であるシンゴラに比べ身の危険の方に神経がいってしまっていたようです。
「あの時、もし、タイの軍隊から攻撃を受けていたら・・・
 今でもその時の光景が夢の中に出てくるんですよ」
戦後、朝枝さんは三根生さんに語っています。

シンガポールを陥落させた後は、
関東軍の参謀となり、のちに大本営参謀となります。
そして、山下さんがフィリピンで第14方面軍司令官として
レイテ決戦に臨んだ時は、派遣参謀として仕え、
内々でアメリカとの講和を探りますが、
そのことがバレて大本営に呼び戻されます。
そして、本業である対ソ研究に励むわけですが、
ソ連軍が不法侵攻を始めたため、
関東軍に作戦命令を徹底させるために
朝枝さんが派遣されるこことなり、
そのままシベリア抑留となるわけです。

参謀本部の暴れ者陸軍参謀朝枝繁春