太平洋戦争秘史

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副題に「海軍は何故開戦に同意したか」とあります。

執筆は保科善四郎さん、大井篤さん、末国正雄さん。
総括編集・財団法人日本国防協会となっております。

保科さんというのは、戦争が始まる前に
軍務局から兵備局が分かれるんですが、
その局長に収まる人です。
時期が時期でして、山本五十六さんは
保科さんに潜水艦の使い方を研究してほしい。
だから、お前潜水戦隊の司令官やってくれ。
軍務局と人事局には言ってあるから。
こんなこと言われちゃうんです。
保科さんは潜水艦のことを知りませんから、
まず断る。断り切れないとみると、
じゃ、一ヶ月研究させてくれ、その後でお受けする。
そう答えたんですが、実は人事局でも
伊藤整一さんが、自分のあとを保科にやってほしい。
って思ってた。大井さんは、海軍反省会で、
「その時保科さんが人事局長やってたら、
 戦争にならずに済んだ」こんなこと言ってます。
保科さんってどんな人なんでしょう。

米内光政さんが第三艦隊司令長官のとき、
保科さんは、その先任参謀でした。
揚子江を遡ったとき、座礁事故を起こしまして、
米内さんは進退伺いを書きます。
保科さんは、それを預かると
そのままポケットに入れてしまいました。
こんなことで、この人の経歴に
傷を付けちゃいけないと思ったみたいです。
こうすべきってことは、独断決行できる人です。
しかも、仕事大好き人間で、
「保科を殺すには、仕事を取り上げたらいい」
なんて言われるような人です。

こんな人なんで、井上成美さんが海軍次官を退いてからは
海軍次官を継いだ多田武雄はお飾りで、
軍務局長の保科さんが米内大臣の右腕となっています。
そして、米内さんの遺言を守るため、
衆議院に出、国防協会の初代会長にもなります。

大井さんや末国さんは、
海軍反省会での発言がかなり多い人たちで、
末国さんの場合は、ずいぶん研究されてて、
その発表をする場面が多く、非常に分かりやすいです。
大井さんの場合は、発言が多いですね。
理屈っぽい人で、
そのこだわりが、ボクは好きなんですが、
人によっては辟易するかもしれない。

海軍反省会は全11巻で終了し、
録音テープが残っていない回などもかなりあり、
たまたま末国さんが登場するところが
多く残っただけなのかもしれませんが、
防衛庁戦史室調査員として研究した時期がありますので、
研究調査の量が多いんだと思います。

海軍は何故開戦に同意したか
    『太平洋戦争秘史

保科善四郎・大井篤・末國正雄

目次
 序
第一篇 保科メモの全貌と回想
  はしがき
 第一章 大東亜戦争(日本側呼称)への道
  第一節 遠因はワシントン、ロンドン条約に
  第二節 世界恐慌と二・二六事件
  第三節 南北論争と「国策基準」の決定
  第四節 陸軍のドイツへの接近
  第五節 「日独伊三国同盟」締結の内幕
  第六節 開戦直前の私の進言
 第二章 開戦に至るまでの秘録
  第一節 日米首脳会談の流産
  第二節 政略重点から戦略重点へ
  第三節 白紙還元―国策の再検討
  第四節 御前会議―深夜の大激論
  第五節 開戦直前の「保科メモ」
 第三章 兵備局長時代の回想
  第一節 兵備局長の任務
  第二節 兵備局長初期の物動計画
  第三節 海務院の誕生
  第四節 物動計画(昭和19年度)
  第五節 サイパン奪回作戦論議の真相
  第六節 レイテ決戦敗北以後
 第四章 秘められた終戦工作
  第一節 知られざる東条発言
  第二節 保科兵備局長の和平工作
  第三節 岡軍務局長の独ソ和平工作
  第四節 保科兵備局長のサイパン奪回作戦
  第五節 東条内閣総辞職の意義
 第五章 終戦への動き
  第一節 陛下の御信念
  第二節 時局収拾への御前会議
  第三節 お召しによる六巨頭会議
  第四節 ポツダム宣言「諾」か「否」か
  第五節 御聖断下る―終戦決定
 第六章 日米単独講和の条件
  第一節 在スイスの藤村中佐からの電報
  第二節 藤村中佐のGHQでの陳述
  第三節 米国務省から見た藤村工作
  第四節 米国首脳の「天皇制存置論」
  第五節 知日派グルーの活躍
  第六節 無警告原爆投下の決定
  第七節 歴史の歯車は狂った
 第七章 終戦余話
  第一節 クーデター前後
  第二節 米内海軍大将に関する余話
  第三節 日本本土分割案
  第四節 戦後の「保科メモ」から
  第五節 大東亜戦争を回顧して
  あとがき

第二篇 開戦と終戦
 第一章 海軍は何故に対米開戦に賛成したか
  第一節 開戦時私は海軍省人事局員
  第ニ節 海軍の日独伊同盟への賛成
  第三節 三国同盟成立後の海軍中央
  第四節 永野修身の軍令部総長就任
  第五節 開戦決意を迫る参謀本部
  第六節 及川海相退陣
  第七節 ついに嶋田海相が開戦に同意
 第二章 終戦における海軍の役割(水交会月例講演)
  第一回 昭和61年1月20日
  第二回 昭和61年4月14日
 第三章 米内海軍大将の現役復帰、海軍大臣就任の経緯とその意義、太平洋戦争関係海軍大臣更迭の経緯
  一、米内海軍大将の経歴概要
  二、米内海軍大将の組閣とその内閣の崩壊
  三、嶋田大将、海軍大臣として登場
  四、東條内閣とその崩壊
  五、後継内閣成立までの過程
  六、小磯内閣の組閣、米内大将の登場
  七、鈴木貫太郎海軍大将の内閣成立と米内海軍大臣の留任
  八、東久邇宮稔彦王陸軍大将の内閣
  九、幣原内閣の誕生と米内大臣留任の経緯
  十、終戦処理内閣東久邇宮内閣と幣原内閣における米内海軍大臣のとった措置

附表
 一、参考資料
 二、主要事件略年表
 三、太平洋戦争中歴代内閣閣僚一覧
 四、太平洋戦争中各部各方面の幹部首脳者一覧
 五、太平洋戦争中陸海軍中央省部首脳者一覧

保科さんの「はしがき」を抜粋。

「私は昭和五年六月、米国の名門エール大学に在学していた。
翌六年九月一八日に満州事変が勃発したが、
そのとき米国に在住する中国人の反日への結束ぶりと、
米国人の中国に対する同情の深さを目の当たりに見聞して、
私はただならぬものを感じ取った」
「日本のことを知らない米国人なら、
中国人の誇大な排日・反日の宣伝にすぐに同調してしまう。
そのため日本に対する無理解のために、
どんな不祥事が発生するか分からない。
日本はもっと自分の立場をPRする必要があると、
しみじみと痛感させられたのであった。
その後中国に勤務したが、いたるところで
排日・抗日・侮日の運動が執拗にくり返されており、
中国人の国民性のしつこい胆汁質は、
日本人のあき易い、忘れっぽい淡白性から見ると、
実に恐るべき民族的差異だと感じた」
「私は多忙の中で走り書きの日記を綴っていた。
それは私の個人的備忘録であったが、
今や当時の海軍省の中枢部の動向を伝える
資料の一つとなった。この際
『大東亜戦争秘史』として世に真相を発表することは、
私の最後の祖国への義務だと思うようになってきた」

保科さんは、ルーズベルトの腹黒さは
知らないままであったようです。

「実際のところ、
日本も米国も進んで戦争を起こす気は毛頭なかった。
しかしそれなのに戦争に突入してしまったのは、
つまり米国も日本も相手のことが
よく分からなかったからである」

アメリカ国民が戦争を欲していなかったのは事実ですが、
ルーズベルトは、日本を戦争に巻き込みたかったのです。
戦争をしないと言って大統領に再選したので、
どうしても、日本に手を出させたかったのです。

ちょっと内容が違うと思われますが、
    ↓↓↓↓↓↓↓↓

大東亜戦争秘史





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