大本営海軍部

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まず序文をいくらか抜粋します。

「大東亜戦争に敗れたことは、我が国にとってまことに千載の恨事であるが、敗戦なればこそ、その教訓は勝利の場合にくらべて数倍に値するものがあるはずである」

「終戦直後の数年間、マッカーサー司令部のさしがねによって行われた、「真相はこうだ」というNHKのラジオ放送は、全部とはいわないまでも、その多くは、故意に真相を歪曲したものであった。そのため国民に誤解を与えると同時に、政府や軍にたいし大きな不信感を抱かせる結果となったのである」

「私はこの誤りを正さねばならぬと思い、また敗戦の跡を反省して戦訓を求めたいと考え、まだ記憶のうすれないうちにと、昭和二十五年にひとつの記録を書き残しておいた。支那事変から大東亜戦争にかけ、私は前後二回にわたって大本営海軍部の作戦課に勤務していたが、その記録は通算五年間に体験したことを、当時の簡単な日記と、記憶にもとづいて書きつづったものである。本書は最近、防衛庁戦史室の資料や先輩知人の口述筆記などによって、この記録を補正したものにほかならない」

「本書にのべたことは、ほとんど私個人のせまい体験と見解にすぎないが、事実は粉飾なく、赤裸々にのべたつもりである。これによってこの戦争にかんする世人の誤解を少しでもとき、またこの戦争を知らない新しい時代の人びとに、真実を知ってもらうことができれば幸いである」

大本営海軍部

回想の大東亜戦争

山本親雄 〈白金書房〉  

  目次
自序
はじめに
  大本営の歴史
  大本営の編成
  海軍省と軍令部
第一章 太平洋に戦雲暗し
  誰もが避けようとした対米英戦争
  国防方針に反する対多数国作戦
  開戦時の大本営の作戦計画
  三段階に分けた作戦
  開戦を前に戦闘機不足論
第二章 破竹の進撃・第一段作戦
  檜舞台で戦艦無用論を実証
  世界を震駭させた真珠湾の奇襲
  零戦の威力
  困難だった機密保持
  戦果拡大に伴う危惧
  さえないスラバヤ沖海戦
  海軍の花形、機動部隊
  第一段作戦の総括
第三章 連合軍反攻・第二段作戦
  戦略思想で陸海軍が対立
  戦略的勝利を逸した珊瑚海海戦
  海軍の面目つぶした東京空襲
  「慢心」がもたらしたミッドウェイの惨敗
  日米戦の天王山ガダルカナル
  ブルドーザーと人力の戦い
  壮絶なガ島周辺の夜戦
  日米空母機動部隊の決戦
  航空消耗戦に敗れる
  ガダルカナル撤退作戦
第四章 攻勢防禦ならず・第三段作戦
  昭和十八年二月の情勢
  攻勢防禦の方針決める
  アリューシャンに暗雲
  アッツ島沖海戦、惜しくも米艦隊を逸す
  ついに玉砕したアッツ守備隊
  山本連合艦隊司令長官の戦死
  戦艦「陸奥」謎の爆沈
  作戦方針転換で戦線縮小
  風雲急な中部太平洋
  連合艦隊、太平洋を去る
  トラック空襲
  真珠湾作戦の再現――「雄」作戦の構想
第五章  帝国海軍の終焉・第三段作戦
  古賀長官の事故死で全作戦に乱れ
  サイパンを失う――「あ」号作戦の失敗
  「捷」号作戦
  比島沖海戦――連合艦隊の壊滅
  比島沖海戦――余録
  連合艦隊司令部、陸上に移る
  フィリピンから沖縄へ
  終戦まで
第六章 戦い終わって
  潜水艦作戦の不振
  対潜水艦戦に完敗
  日本海軍の魚雷
  敗戦まねいた艦隊決戦主義
  特攻攻撃
  開き過ぎた飛行機生産力の差
  情報・暗号戦でまず敗北
  大本営発表はでたらめか?
  宿命的な陸海軍の対立
  実現できなかった「統帥一系」
  東條大将の天皇親政論
  実現しなかった日独協同作戦
  「統帥権独立」の弊害

米内光政・山本五十六・井上成美のときは、
三国同盟はなりませんでした。
それが、及川古志郎・豊田貞次郎になったとたん
同盟締結に同意したのです。なぜか。

どんな理由で海軍が豹変し、陸軍や松岡外相の
主張に追従したのかを明らかにするため、
戦後関係者が行った口述や談話などを調べてみたそうで、
こんな感じでまとめられています。

(一) 自動参戦の問題
従来、海軍が反対した大きな理由は、自動参戦を付加とするにあった。ところが成立した条約では、この条項がなくなったから、海軍が反対する理由が消滅した。松岡外相は和戦の決は天皇の大権に属し、日本が自主的に決定しうるものであって、ドイツも了解している、と主張して海軍を押し切ったということである。
(二) 米国との戦争を避ける手段としての同盟
ドイツも日本も、アメリカとの戦争は避けたい、と望んでいた。この点、日独の利害が一致するというのが政府の判断で、これにたいしては海軍も異存はなかった。しかし当時、松岡外相が主張したのとは反対に、同盟締結によって、日本が毅然たる態度をとれば、米国はさらに強硬策をとり、日米の関係はますます尖鋭化し、ついに和解不可能に陥る、ということは軽視されたようである。
(三) 陸海軍の対立緩和
当時、陸海軍の対立は、極度に尖鋭化していた。とくに陸軍の態度は硬化して、国内動乱のおそれもあるという情勢であった。海軍はこの際大乗的見地にたち、このような事態の勃発を避けるため条約締結に同意した。
(四) 海軍存在の意義
海軍があくまで同盟に反対するならば、「対英米戦には”勝てない”から”戦えない”ということを海軍から表明されたい」ということを、首相の側近や陸軍から申し入れてきた。これまで対米戦を目標として整備訓練してきた海軍としては、このような表明はできない。もし表明すれば、海軍存在の意義を失い、また艦隊の士気にも悪影響を及ぼすことにもなるので、勢い同盟に賛成せざるを得なくなった。
(五) 予算、資材、人員等の割当上
支那事変が始まってから、予算、資材の割当は、陸軍優先の建前となっていた。そこで国策を米英に指向することになれば、これらの割当を海軍優先に転換させうるという望ましい結果になる。もし同盟に反対すれば、海軍への割当は不要である、というのが陸軍の空気であった。
(六) 近衛首相の不決断
政府内にも、外相、陸相以外の大臣には、同盟にあまり賛成でないものもいた。近衛首相も、海軍が必ず反対するだろうから、自分はしぶしぶ賛成しておけばよかろう、という考えであったともいわれている。海軍は、このような重大な国策の決定に、海軍が主導して反対することは迷惑であるとして、なんとか首相の責任において反対に導かれるように努めた、ということがいわれている。
(七) 朝野世論の硬化
支那事変が長期化し、不安と焦慮にかられた国民の間に、陸軍の巧みな宣伝によって”親独反米”の機運が起きてきた。朝野の親英米派は口を閉じ、強硬論をとなえる親独派が幅をきかすようになったのは、自然の勢いであった。したがって政府内部の空気もしだいに硬化し、外務省や内務省の官僚が、同盟論を指示したばかりでなく、海軍部内においてすら同盟賛成論者が出るようになった。大臣や総長もこのような空気を制しきれなかった、という点もあったらしい。

そして、このような結論めいたことを述べられています。

海軍が同盟に賛成した理由も、
国家全体のことよりも、海軍だけのことを
重く考えてのこととしか思えないふしが多い。

大本営海軍部

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