一海軍士官の回想

Pocket

この本を書いた中山定義さんは、
井上成美さんが支那方面艦隊の参謀長だったときの
政策担当参謀で、井上さんが軍令部に乗り込んでいって、
アホなこと(対米戦になりかねない政策)すな!
って言い寄ったときにお供させられた人です。

開戦時は南米におり、
「中山さん。日本の海軍機がパール・ハーバーの
 米艦隊をさかんに攻撃しているというニュースが
 繰り返されていますからお知らせします」
という、同盟通信の椎名氏からの
突然の電話が第一報となったそうで、
「パール・ハーバーだけですか。
 フィリピンというような地名はありませんか」
と答えたそうです。
というのは、3日前にワシントンから
暗号関係を処分したという機密電報を受けており、
時間の問題。と観念していたからだそうです。
その後はチリで監禁状態。
第二次交換戦で昭和18年霜月、横浜着。
昭和18年といえば、ガダルカナル撤退、
山本五十六さんの戦死、アッツ島の玉砕と、
みるみる戦況が悪くなった年で、
中山さんがチリを出たころには、
イタリアが降伏しています。

中山さんは、駆逐艦艦長を強く希望しましたが、
「君の乗るような駆逐艦はもう一隻もない」
なんて一蹴されてしまい、相手にされなかったそうです。
海軍省副官、第二艦隊参謀、軍令部五課(米国情報)、
軍務局二課などが、ワシントンから
南米経由で帰った中山さんを欲しがっていました。
辞令は「海軍省軍務局二課」でした。
ドイツ駐在が決定していた扇一登さんの後です。
ひと月もすると、こんな事例が追加されます。
「調査課課員、兼軍務局局員、南方政務部部員」
調査課といえば、
高木惣吉さんが作ったブレーン・ブラストがあります。
そんなわけで、中山さんは
次官を退いてからの井上成美さんとの連絡など、
高木さんの終戦工作にかかわることになります。

一海軍士官の回想

開戦前夜から終戦まで

中山定義 〈毎日新聞社〉

  目次
Ⅰ 北米時代
  危機せまる米国へ
    井上成美参謀長の憂い
    「米国駐在を命ず」
    「鎌倉丸」の乗客たち
    野村大使の述懐
    神ならぬ身
    北米大陸に第一歩
    Gメンに追跡される
    ワシントンへ
  プリンストン大学
    大の日本海軍ファン
    アインシュタイン博士
    直接の殺し合いは避けよう
    教会の反日演説
    レーダー情報
    アナポリス見学
  視察旅行
    一ヶ月のドライブ旅行
    在留邦人に時局講演
    大西洋の独・英艦隊決戦
    米大統領の「国家非常事態宣言」
    立花事件
Ⅱ 南米時代
  アルゼンチンとブラジル
    次は中山だ
    米国から南米へ
    チリ進出を意見具申
    欧州から転進の海軍使節団
    最後の日本船「東亜丸」
    来るべきものが来た
  日米開戦下のチリ
    アンデスを越えて
    チリ公使館附海軍武官
    ドイツ武官と情報活動
    自前の情報宣伝戦
    大本営発表
    盗聴覚悟の電話連絡
    ついに国交断絶
    監禁生活
  帰国の途へ
    第二次交換船
    帰国の途へ
    上甲板の「海ゆかば」
    交換船「帝亜丸」
    昭南寄港
    マニラから最後の航海へ
Ⅲ 海軍省軍務局時代
  新任務と帝国議会
    帰朝報告に反応なし
    新配置
  ブレーン・トラスト
    調査課のブレーン・トラスト
    二年現役主計士官のこと
    地価大食堂の激論
    石川信吾少将の政治活動
  東条政権の崩壊
    反東条熱に驚く
    四方東京憲兵隊長
    自滅の道をたどる
    潜行する内閣打倒運動
    海軍人事に陸軍の横槍
    「敵はついに倒れたぞ」
    飛行機工場の現実
    原子爆弾
  小磯・米内協力内閣と海軍
    海軍に活気戻る
    米内大臣と井上次官のこと
    大臣演説草案に四苦八苦
    陸軍強硬派からのアプローチ
  鈴木内閣と終戦
    小磯内閣から鈴木内閣へ
    激化する空襲
    本土決戦の準備
    混乱の第87臨時議会
    身を切られる思いの終戦工作
    幻の大和大本営
    ぐずぐずしてはいられない
    エピローグ
 注
あとがき
  索引

サイパンからの決別電は文月の六日です。
12日、東條は、嶋田繁太郎と申し合わせ、
内閣改造で乗り切ろうとします。
そのことを木戸幸一内大臣に伝えると、
木戸から条件を出されます。
統帥権の確立(総長と大臣の分離)。
嶋田海相の更迭。
重臣(総理経験者)の入閣。
木戸は、陛下の思し召しであることをほのめかします。
東條は、参謀総長には梅津美次郎さん、
嶋田は軍令部総長に専任させ、
新海相には野村直邦を当て、
阿部(陸軍大将元総理)と米内さんの入閣を
求めるという内閣改造方針を木戸に説明し、
了解を取りつけます。
そんなわけで17日、野村海軍大臣が誕生しますが、
米内さんに入閣を断られ、
18日東條内閣は総辞職します。
重臣会議が開かれ小磯国昭が選ばれますが、
19日、近衛が米内さんを訪ねます。
「小磯一人じゃ心配だから、
 あなたが出て連立でやってもらえないか」
米内さんは連立なんてうまくいくはずがない、
としたうえで、海軍大臣ならやれると告げますと、
近衛は、小磯首相・米内海相というお言葉を
陛下からいただくように木戸に含みます。
20日、小磯・米内の二人に組閣の大命が下ります。
可哀そうなのは野村君で、
小磯から辞表を出せと言われるわけです。
「お上から米内を現役に戻して大臣にするよう言われて
 おりますので、海軍の方で、手続きをお願いします」
21日、野村君は参内して陛下に確認します。
「その通り」
小磯・米内連立内閣は22日誕生します。
米内さんは副総理格ですが、
小磯には「お前がやれ」と、海軍大臣に専念します。
葉月の5日には井上さんが次官になります。

中山さんによれば、海軍の空気がガラッと変わり、
海軍省を訪問する顔ぶれが一変したそうです。
中山さんの表現ではこうなります。
「とにかく米内海相・井上次官のコンビが
 出現したことは、海軍省構内に聳え立つ
 あの高い無線用鉄塔の上に、
 いわば”霞ヶ関灯台”とでも称すべきものが点灯され、
 遠く日本の針路を照射しだしたような思いで、
 懐中電灯で足元を照らしながらうろうろし、
 とかく大きい針路を見失いがちな
 われわれ事務当局にとっては大助かりであった」


一海軍士官の回想

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *