海軍戦争検討会議記録

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海軍反省会というのは、終戦からだいぶたってから開かれました。
第一回は昭和55年です。

終戦からそれほど時間をおかない時期に
海軍では特別座談会を行なっています。
終戦の年の師走の22日と明けた睦月の17日と22日です。
この資料を海軍側から渡されたのが、海軍記者をしていた新名丈夫氏で、
この人は「竹槍では間にあわぬ」なんて記事を書いて、
東條さんの逆鱗に触れて徴兵された人です。

新名氏は、公表を目的としたものではなく、
世に出したならば関係者に迷惑の及ぶおそれがあると、
30年、大切にしまっていたそうですが、
井上成美さんの死をきっかけに、
古巣の毎日新聞社の求めに応じて世に出すこととなりました。

この本は、カバーのついた本でして、
なんとなく高そうだし(事実定価の4倍強)、
資料的な読みにくい本かと思って敬遠していましたが、
意を決してレジに持っていた記憶があります。

海軍戦争検討会議記録

新名丈夫/編 〈毎日新聞社〉

 目次
「海軍特別座談会」について(序に代えて)

[解説1]開戦直前の政府と陸海軍
特別座談会 大東亜戦争開戦前
  国内情勢に関する座談会

[解説2]三国同盟をめぐる抗争
第一回特別座談会 三国同盟
  第一次三国同盟
  第二次三国同盟

[解説3]破局への道
第二回第一次特別座談会
  支那事変勃発までの経緯
  支那事変処理(解決)と大東亜戦争との関連
  日米交渉の経緯

[解説4]戦備の基本構想
第二回第二次特別座談会
 日米開戦に至るまでの用兵および戦備に関する事項
  情勢に応ずる戦備促進の状況
  彼我国力判断
  大東亜戦争が自存自衛戦たるの論拠

〈付録〉
 井上成美航空本部長申継
[解説]「申継」について
  航空本部長申継
  新軍備計画論
  海軍航空戦備の現状

陸海軍中央統帥組織
陸海軍等主要職員一覧表
年表
あとがき
索引

及川君に、こんな発言があります。
「五相会議で海軍が反対したことを、
次には独側から訂正してきたことからみて、
会議の内容を、陸軍は先方に洩らしていたらしい」

三国同盟締結について、
自動的参戦を盾に抵抗したが、
松岡外相に大丈夫などと言われてごまかされ、
海軍として反対理由がなくなってしまった。
などと、軍令部次長近藤、大臣及川、次官豊田貞次郎が、
言い訳をしていて、井上さんはずうっと我慢して聞いていたんでしょう。
こう切り出します。
「先輩を前にして甚だ失礼ながら、敢えて一言す。
過去を顧みるに、海軍が陸軍に追随せし時の政策は、ことごとく失敗なり、
二・二六事件を起こす陸軍と仲よくするは、強盗と手を握るがごとし。
同盟締結にしても、もう少ししっかりしてもらいたかった。
陸軍が脱線する限り、国を救うものは海軍よりほかにない。
内閣なんか何回倒してもよいではないか。
二・二六のとき、私は米内長官の下、横須賀鎮守府参謀長で、
陸軍が生意気なことをやるなら、
陛下に『比叡』に乗っていただくつもりで、
東京にも直ちに陸戦隊を出し、
もし陸軍が海軍省を占領し、中央がだめになったら、
長官に全海軍を指揮してもらって、陸軍に対抗する決心なりき。
兵学校長の時も、士官学校生徒から兵学校生徒に、
陸海軍仲よくせねばならぬとの文通しきりなりしが、
自分は校長の責任において両校生徒間の文通を禁止せり」

あんときは、山本五十六長官に上京してもらって相談したんだけど、
山本さんも「いたし方あるまい」って言ってたんだよ。
なんて、及川君は言い訳します。
そのうち若い奴が、外相や陸相の所掌に口出すってのは、どうですか。
なんてい言い出す。

「閣議というのは、君のいうがごとき性質のものではない。
海相といえども、農相や外相の所掌に関しても、堂々と意見を述べて差し支えなし。
閣僚の連帯責任とはこういうものだ。
意見が合わねば、内閣が倒れる。国務大臣はそれができる。
また海軍は政治力がないというが、伝家の宝刀あり。
大臣の現役大・中将制これなり。海相が身を引けば、内閣は成立せず。
この宝刀は乱用を戒慎すべきも、
国家の一大事に際しては、断固として活用せざるべからず。
私は三国同盟に反対し続けたるも、この宝刀あるため安心していたり」

と井上さんが言えば、すかさず海軍書記官だった榎本さんが、
「法理上よりいうも、井上大将のお説の通りなり。
近衛公手記に、政治のことは海相心配せずともよい、とあるは公の誤解なり」
及川君の前の大臣吉田さんも、
「外交権というが、常識にすぎず、海軍でも、外交のことをどんどん言える」
さらに吉田さんはこんなことも、
「陛下から、海軍のいうことはよく判るが、陸軍のいうことはよく判らぬというお言葉があったということを、近藤君(次長)が私に話したことがある」

そのあと松岡(外相)批判です。
豊田貞次郎(次官、のち商工相、外相など)
「欧州から帰った後の松岡は、態度一変し、
米国は武力をもって圧迫せば、屈服すると考えるようになった」
吉田善吾(大臣、病に倒れ及川に代わる)
「彼は論理一貫しない。ロジックが飛躍する危険人物なり」
近藤信竹(軍令部次長)
「欧州から帰ったとき、
何か彼は言質を与えてきたのではないかという印象を受けた」

海軍戦争検討会議記録

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