海軍人事の失敗の研究

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まぁ、海軍を主に見てきましたので
陸軍のことは分かりませんが、
海軍はかなり硬直した人事をしてますよね。
兵学校第七期の島村速雄、加藤友三郎。
この重しがなくなっちゃったところから
すでにやばかったんじゃないかと思いますね。
そして、伏見宮様の軍令部総長就任。
仕上げが、大角岑生の「大角人事」

さて、生出さんは、どの辺を失敗と言っているのでしょうね。

海軍人事の失敗の研究

生出寿 〈光人社〉

まえがき
第一章  太平洋戦争での十大失策
    1 陸海軍、開戦時の勝算
    2 緒戦の快勝と、ひとりよがりの名称「大東亜戦争」
    3 連勝六ヵ月後の致命的大敗
    4 海軍三首脳による無責任・ごまかしの敗戦処理
    5 理に反したガ島奪回戦
    6 天下分け目の決戦で、蟷螂の斧になった日本機動部隊
    7 まちがいだらけの作戦で連合艦隊壊滅
    8 「地獄絵図」の特攻一本槍作戦
    9 終戦をおくらせた陸相、参謀総長、軍令部総長
   10 開戦は人為的結果
第二章  海相加藤友三郎の「対米不戦」の決断
第三章  軍令部長加藤寛治、次長末次信正の反政府政治活動
第四章  ガン発生のような「統帥権干犯」事件
第五章  軍拡派伏見宮の軍令部長就任
第六章  海軍軍国主義化の二つの動力源
第七章  日本海軍壊滅をまねく軍縮条約全廃案
第八章  二・二六事件と海軍首脳らの対応
第九章  出色の海相選出
第十章  無理押しきりなしの日中戦争
第十一章 日独伊三国同盟締結をめぐる陸海軍の抗争
第十二章 陸海軍と近衛に倒された米内内閣
第十三章 海軍を乗っ取った反米英・親独伊派
第十四章 開戦前の海軍トップ人事はすべて失敗
第十五章 逆効果になった真珠湾奇襲攻撃
あとがき

戦後GHQ歴史課嘱託となった大井篤(海軍兵学校第51期)さんは、
同じく嘱託であった陸軍の服部卓四郎さんと、
GHQの食堂でこんな会話を交わしました。

大井
「海軍は陸軍に押されてとうとう開戦に踏み切ったわけだが、私が調べたところでは、陸軍のなかでも開戦をいちばん熱心強硬に唱えたのは、あなたと辻政信だったようですが、違いますか」
服部
「まちがいない。こんなこともあったよ。途中で塚田参謀次長までが軟化したのを耳にし、僕と辻が次長室に押しかけてネジをまいてやったら、次長はふたたび強い音を出すようになり、それ以後は弱音を出さなくなったよ」
大井
「必ず勝てるという自信があったからこそ、あなたがたはそれほどまで強硬に出たのでしょうが、米国と戦って勝てるわけはなかったでしようが」
服部
「理由は二つあった。ひとつはドイツが必ず英国を屈服させるということ、もう一つは日本海軍が海上交通路を必ず確保してくれると信じたことだ。海上交通路の確保ができれば、日本は長期自給自足ができるわけだし、その間に英国がドイツに屈服すれば、米国は戦争継続の意味を失い、米国民の戦意が衰える。そこに有利な終戦となるチャンスが生まれる、という考えだった」

まず驚くのは、いくら終戦後とはいえ、
陸軍と海軍の元参謀の間で、
このようなザックバランな会話が成り立つものなのか?
という点なんですが、
これにはちょっと訳がありまして、
大井さんというのは、戦時中でも誰に対しても、
こういうふうにズケズケと言う人です。
そして、この二人は山形県鶴岡中学の先輩後輩で、
服部さんの方が二つ先輩です。

おもしろいのは陸軍の勝利の方程式ですね。
その条件が二つとも他力なんです。
こういうので戦争に突き進んでもらっては困るわけですが、
おそらくこんなところだっただろうと、ボクは見ています。

陛下は、とりあえず、三ヵ月ほど冷却期間をおいて、
そのあと交渉を再開したらどうか。
そういう御発言をされたことがあります。
米内さんも、時の推移というものもあるから、
必ずしも焦って結論を出すことはないんだが。
このようなことをつぶやいていましたが、
このとき米内さんは現役ではないので、
海軍大臣が相談にでも来れば影響を与えたかもしれませんが、
訪ねてくるのは、課長クラスの憂国の志とか、引退してる人たちですから、
軍政に反映されるような作用は起きませんでした。

このことが、見えない人には見えないんです。
淵田さんたちが真珠湾に攻撃をかけたとき、
ドイツ軍はモスクワからの撤退を決めています。

海軍の中にも、イギリスはそのうち白旗上げる。なんて
思ってた人も確かに居るんです。いや、数でいえば多かったかもしれない。
でも、外国に明るい人たち、情報やってる人たち、
こういう人たちは、ドイツはイギリス本国までは攻め込めないって
ハッキリ言いきってますし、
そういわれちゃっても、まだ反論するほどのバカ者は
それほどいなかったと思うんです。

こういうことを考えるとね。
海軍が両方の正確な情報を持ってたってことですよ。
「ドイツはイギリスに勝てない」
「日本はアメリカに勝てない」
このことを正しく発信しなかったんですよね。

こう考えると、陸軍に引きずられちゃいけない立場だったように思うな。

第十四章の表題見てください。
「開戦前の海軍トップの人事はすべて失敗」ですよ。
海軍大臣 嶋田繁太郎
軍令部総長 永野修身
連合艦隊司令長官 山本五十六

これを指すんだと思いますが、
その前から失敗でした。
海軍大臣 及川古志郎
軍令部総長 伏見宮博恭王
連合艦隊司令長官 山本五十六

及川から嶋田に代わるとき、
これは東條内閣誕生の時ですが、
豊田副武案が海軍で起こりました。
このころの豊田は期待されていたんです。
豊田さんなら東條に丸め込まれないだろう。
こういう期待があったようで、
陸軍側から「豊田大将はちょっと。。。」と言われても、
なお豊田で押すべきだ!と、次官だった澤本さんは食い下がったんですけど、
伏見宮の方が「嶋田だろ」って言ってるもんだから
豊田で押して、東條内閣を流産させるということができなかったんです。

ボクは、豊田なんて嶋田とおんなじことをしたと思ってます。
終戦の時がそうでしたからね。陸軍に同調しちゃって。

まぁ、伏見宮が君臨してた時点で、
思うような人事はできなかったと思うんだけど、
そういうこと度外視してかなったとして
海軍大臣 山本五十六
海軍次官 井上成美
海軍軍務局長 保科善四郎
軍令部総長 百武源吾
軍令部次長 小澤治三郎
連合艦隊司令長官 古賀峯一

このくらいのスクラム組まなきゃ、流されちゃったんじゃないかねぇ。
まぁ、昭和16年において、どんな人事をしても、
戦争を欲したのはアメリカのルーズベルトの方ですから
どのみち巻き込まれてたと思いますよ。

海軍人事の失敗の研究


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