軍令部総長の失敗

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ここでの軍令部総長とは誰を指すかってことですが、
永野さんも失敗でしたが、伏見宮博恭王のことです。

軍令部総長の失敗

生出寿 〈徳間書店〉

危機の萌芽
 天皇の失望
 三人の寵臣
 孤立した天皇
 自信過剰の海軍首脳
天皇に背く首脳たち
 反米英の先駆
 お家騒動の発掘
 軍令部は不同意
 策謀家たち
 伏見宮と東郷
軍令部総長の不明
 かつがれた軍令部長
 権力強奪
 特急昇進
 海軍自体の慢心
 まず兵を去れ
海軍滅亡へ
 陸軍との対決
 悪魔に魅入られた夏
 離任
 特攻主張
  あとがき
  参考引用文献

昭和16年神無月の10日の
内大臣木戸幸一の日記にはこうあります。
「10時20分より11時20分まで拝謁す。その際、過日伏見宮と御会見の際、対米問題につき殿下は極めて急進論を御進言ありし趣旨にて、痛く御失望あそばされしよう拝したり」

このときすでに博恭王は永野さんに軍令部総長を譲っています。

昭和天皇は、大義名分も不明で、
不幸な結果になるおそれが大きい対米英欄戦は
回避すべきだとのお考えで、
海軍こそが意思統一をはかり、
国論を対米英蘭不戦にもっていってほしいと考えていました。
ところが、その統一をはかる立場にあるはずのおじさんが、
開戦を強硬に主張したのてす。

この1ヶ月前です。
長月の6日。
御前会議が開かれ、昭和天皇は
四方の海 皆同胞と 思う世に
  など波風の 立ちさわぐらむ
という明治天皇の御製を切々と誦して、
戦争回避の内意を強く訴えたのですが、
一同は、極力尊重するとしながら
相手のペースじゃマズいんで、
って、一応の期限を切って
それに合わせた準備もします。と、
こんなふうに決めちゃったんですね。

長月の29日。
連合艦隊司令長官の山本さんが、
御前会議に出席した永野さんに言った言葉を、
海軍次官の澤本さんがメモしています。
「一大将として、第三者の立場で一言すれば、日米戦は長期戦となることが明らかです。日本が有利な戦を続けている限り、米国は戦をやめないでしょうから、戦争が数年にわたり、資材は蕩尽され、艦船兵器は傷つき、補充は大困難をきたし、内地人はともかくとして、朝鮮、満州、台湾は不平を生じ、反乱が常なく、収拾に困難をきたすことが、容易に想像されます。かかる成算の小なる戦争は、為すべきではありません」

この話を次官から聞いていた及川大臣は近衛に招かれ密談をします。
及川さんっていう人は武人と呼ばれような人ではなく、
近衛さんと似たり寄ったりの人です。
この件に限って言えば、軍令部総長より、大臣の方が失敗です。
せめて「海軍は反対だ」と言えればいいんですけど、
こんな言い方でした。
「米国案を鵜呑みにするだけの覚悟で進まなければなりません。総理が覚悟を決めて邁進されるならば、海軍は十分援助いたしますし、陸軍もついてくると信じます」

近衛は神無月の七日夜、東條説得をはかります。
けっこう言うことは言いましたが、説得には至りません。
八日は参謀総長の杉山と永野が開戦で盛り上がってます。
東條、及川も会っており、こちらは東條が対米交渉うちきり、及川は交渉継続、和戦は閣議で。
博恭王が陛下を叱咤激励し、失望させたのは、この翌日です。

12日、近衛の私邸に
外相、陸相、海相、企画院総裁が集まり会談が開かれます。
及川君は「もし外交でやり、戦争をやめるならば、それでもよろしい」と、ずいぶん無責任な言い方で切り出します。
東條さんは「何をいうか」ってなもんです。
外相は、三国同盟成立時に海軍次官だった豊田貞次郎で、及川君とは話ができてますから、ひと月前の御前会議のことは水に流して、、、みたいな言い方で、さらに東條さんを興奮させます。
近衛はこう言います。
「どちらと言われれば、外交といわざるをえない。戦争にわたしは自信がない。自信がある人にやってもらわなければなりません」

そして16日、近衛は政権を投げ出します。

軍令部総長の失敗

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