反戦大将井上成美

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井上成美さんに関する本というのは、非常に少ないです。
ちょっと、先の大戦のことに興味を持ったら、必ずぶち当たるビックネームにしては、という意味です。

まぁ、そのおかげで、無名のボクの本でも検索に引っかかることがあるようなんですけどね。

井上成美の遺言

井上さんって、かなり重要なエピソードがたくさんある人なんですけど、キチガイみたいに筋が通り過ぎてて、たぶん読み物として面白くならないんですよね。

反戦大将井上成美

生出寿 〈徳間書店〉

  目次
まえがき
苦難の一生と井上家の人びと
安心して死なせてくれ
一等大将加藤友三郎の対米不戦論
海軍分裂が不幸のはじまり
職を賭して伏見宮とたたかう
日独伊三国同盟つぶしの急先鋒
ドイツはかならず負けるよ
海軍をまやかした松岡外相の痴人の夢
反戦井上の一生の不覚
バカヤロー、何が「奇襲ニ成功セリ」だ
理にかなっていた珊瑚海海戦
井上校長の教育改革
日本初の終戦工作に踏み切る
天皇制より民族保存が第一
あとがき

陸軍の場合、大臣というのは何となく頼りない感じがあります。
ちょっと、表現が違うかな。
陸軍の司令官と言われる人たちですね。
そういった実行部隊の長が陸軍大臣よりも偉かったりするんです。
人事の面でいいますと、
陸軍大学校(参謀になる学校)を卒業しますと、
その人の人事権が参謀総長にいきます。
参謀本部がとんでもない権限を持っておるわけです。

海軍の参謀部は軍令部といって、
陸軍みたいなことはなく、
大臣に権限が集中し、一枚岩みたいになっていました。
ところが、伏見宮という皇族が軍令部総長に祭り上げられたとき、変化が起きます。
この伏見宮様というのが、厄介なことにドイツに留学していまして、
お飾りでなく武人でもあったために、すごい発言力を持ってしまうわけです。

このとき井上さんは大佐。
軍令部が権限を広げようと改変を求めてきたとき、
井上さんは海軍省軍務局一課長として、
伏見宮を敵に回してハンコを押しませんでした。
首を覚悟していたんですが、
「井上はあっぱれだ」と伏見宮様が言い出して
左遷どころか、陛下のお召し艦の艦長になります。

少将のときは、横須賀鎮守府参謀長として
2・26事件のときに迅速な対応をしたり、
軍務局長として三国同盟成立を阻止します。

中将になってからは、
航空本部長として「新軍備計画論」を大臣の及川に渡し、
また、日米開戦には断固反対し左遷されます。
開戦時は第四艦隊司令長官。
戦に向いてなってことで、海軍兵学校校長になります。
本人は「ホッとした」と、後に漏らしていますね。
その後中央に呼ばれて海軍次官となり、終戦工作に尽力します。

この海軍兵学校校長時の功績が素晴らしいんですが、
これは長くなりますので『井上成美の遺言』でも読んでください。

戦後の井上さんは、
村の子供たちに英語を教えてひっそりと暮らしていました。
そのころの海軍関係者の井上さんに対する評価で、
ある意味、的を射た表現だと思うものがあります。
井上さんが校長をしていたころ
企画課長をしていた小田切さんの問いかけに、
終戦時の軍務局長で、
当時国会議員となっていた保科さんが答えたという会話です。
「井上さんのような人物を放っておくことは、後輩として全く不本意です。もっと考えて差し上げられないものでしょうか」
「心配することはないですよ。そのうち再軍備ができたら、陛下や皇太子殿下に軍事についての御進講をする方は井上さんを措いてほかにないと私は思っています」

反戦大将井上成美

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