ようこそ、大和魂へ

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大和魂と聞くと、なんだか猛々しいイメージを抱く方もいらっしゃるかと思いますが、大和魂は「大きな和の心」です。公に殉ずる心といってもいいかもしれない。
3.11、平成23年弥生の11日、東日本大震災が起きました。

このとき、目の前まで津波が迫ってきているのに、上司や先輩から上にあがれ!と言われながらも、防災無線の前で「高台に非難してください」と叫び続けて、津波に呑みこまれた方がいましたね。遠藤未希さん。これが大和魂です。

特攻隊員もそうです。
日の丸のハチマキって、今でもありますね。必勝とか書いてあったりする。神風って書かれたものもあります。この神風ハチマキだけは、その由来を知ったうえでつけてほしいと思います。

「どうせ死ぬのだから、もう金は要らない。みんな出そう」
特攻隊員が言い出し、その集めたお金を司令に渡しました。司令は、此のいきさつを書いて軍需省の遠藤三郎さんに送ります。遠藤さんは、これを何とか形に残したいと思い、神風手ぬぐいを作ることにし、生産工場で働く人たちに配ったのです。これを工場の人たちが鉢巻きにしたのが始まりです。

私より公を優先する心。
猛々しいというよりは優しさですよね。これが大和魂。大きな和の心です。これは、神様の心です。
ここでいう神様は、日本の神話に出てくる神様で、ゴッドではありません。日本の神話に出てくる神様は人間と同じ欠けた存在で、ついつい私が出てしまうところを祓いのけ、公に生きようと努力しつづける存在です。
それを見習って生きよう。というのが日本の神道で、これは良心に従おう。という道徳ですね。

ここでいう神様の心が良心です。
良心の持つ方向性、これが生命の欲求ですが、厄介なことにこの世に生きているということは生物でして、個々人が生物の欲求を持っています。これが私の心ですね。
ですから、私の心がもたげてくるというのは仕方がないことで、もたげてきたこと自体を罪に思う必要はないのです。ただ、それを祓い公の心、生命の欲求の方に従うよう努力しつづける。このことが大切であり、また、これを随神(かむながら)の道というのです。

なぜ、今、随神か?

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財務省には
「我ら富士山他は並びの山」
などといった思い上がった考えがあるようです。
そして、己の天下り先確保のために手柄を競っているようです。

己は明らかに私です。
しかし、もし自身の出世は省みず、ただ省益のために身を粉にして働いたのなら公に殉じたことになるのでしょうか。

国家公務員は国のために働くものであり、省のために働くものではありません。省益のために働くのは小さな和の心ですね、セクショナリズム。これは祓わなければならない心です。

良心は誰もが持っています。
ただ、ちっょとその良心の発したシグナルを受信できなくなった人が多いようです。こびりついちゃって、祓っただけじゃ落ちないんですね。ゴシゴシこすってやる必要がある。
ゴシゴシこすって磨き上げるためには、道具が必要ですね。

いい道具があるんです。
『教育勅語』
これは、明治になって新しいものをたくさん取り入れたとき、昔がよかった。なんて言う人も出てきて、新旧どっちに従ったらいいんだろうって日本人が迷っていたときに、明治天皇が「新しいとか古いじゃなくて、変わらないものがあるだろ」といってお示しになった勅語です。

戦後の占領時に、GHQに刷り込まれた自虐史観によって自信を失った日本人には、もってこいの道具ではないかと思います。

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